昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

弁財天神社

2021年02月25日 05時53分40秒 | 1 想い出る故郷 ~1962年

   
丸谷の
弁財天神社
その名前を2016年
グーグルマップを見て知った。
幼い頃に上った階段、その位置は変っちゃあいない。
当時、鳥居が有ったか否かは覚えていないが

此の道を、この階段を
意気軒昂、闊歩したことは、忘れないのである。

オミヤサン
・・と 謂って皆で遊んだ処で

四歳の頃のテリトリーである。
 イメージ

階段を登ると広場になっていて、山桜の木が在った。
春は
山桜の木に登って

黒く熟れたサクランボを採って食べた。

 ニイニイゼミ  クマゼミ

夏は

蝉捕り
此処にはニイニイ蝉がいた。
この蝉、見かけも悪く、鳴く声も地味で
如何にも弱々しい
動きも鈍く
山桜の木に登り、手掴みで捕れたのである。
だから、少しもの足らず、私は好きではなかった。
男の児としてはやはり、勇ましいクマゼミの方がよかったのだ。
然し
クマゼミと出遭うは偶で
せっかく見つけても、動きは早く
幼い子供が手掴みで捕れる筈もなかったのである。
 梅の実 ・イメージ
山桜のある広場から
階段を上ると 御宮の御堂があった。

御堂の横に更に上る階段があり、そこに梅の木があった。
美味そうな実が成っている。
「 青い梅 食うたら腹が痛くなるぞ 」
先輩達がそう教えて呉れる。
梅干しはひとつ丸ごと口にするほど 大好物な私。
梅酒に漬けた梅を ガリガリ 齧って食べるのが大好きな私。
先輩達の声を聞かずに、捥いで齧った。

 
御宮の階段を上りきると、
雑木林になる。
秋に

6歳上の叔父と二人、そこに入って 栗を拾った。
毬栗 ・イガグリ は 触ると ビックリするほど痛かった。
『 二階 』 の家に持ち帰って、
母に蒸かしてもらって食べた味は格別であった。

芋 より ずっと美味い・・・そう、想った。

御宮の広場の突き当りは崖

其処から三ノ瀬の街並みが見えた。
崖下には、石炭の燃えカスが積まれたボタ山があった。
この燃えカスの石炭でも、ちゃんと炭の代りになったのである。

どうして此処にボタ山があったかは知らない。


フラフープが流行った 昭和33年 ( 1958年 )

四歳の私
竹製のワッパでフラフープ
流行の真似事をしたものである

ススキをカヤと呼ぶ
御宮の階段脇に生えていたカヤを摘み取り
指先でカヤを飛ばして遊んだ

此を 「カヤの葉飛ばし」・・と、謂う
階段の頂きに立ち
たかが四歳の私が飛ばして見せたは
もう、遥か彼方の・・・こと

今となっては
カヤの葉
飛ばすこと かなわない


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