昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

メジロ と とりもち と 百舌鳥獲り

2016年04月30日 04時57分12秒 | 1 想い出る故郷 ~1962年

5、6歳  ( 昭和34、35年 ) の頃
「 メジロ 」 を 飼うことが、流行った。
 類似イメージ
竹製の鳥かごも立派なもので、それだけでも宝のようなものであった。
中学生の叔父は得意げに、鳥かごのメジロの世話をしていた。
大根の葉っぱをすりこぎ、青汁にして飲ます。
私もそれを手伝った。
鳥かごの掃除には、もう一つ鳥かごを容易して
互いの入り口をくっ付けたまま開き、鳥を追いやって移動させた。
私は、側で胸をどきどきさせながら、それを見ていた。
水浴びをさせるのを見るのも楽しみであった。
「 わしも、くんない 」
私も欲しくて、叔父にせがんだが、貰えなかった。

めじろ獲り
「  シー、ちょっとダマッチョレ 」
「 ♪ 」
叔父が口笛を吹いている、メジロの鳴き声を真似ている。
軒先にメジロの入った鳥かごが掛っている。
オトリ にしているのだ。
「♪♪ 」
「 ほら、山の方から、メジロの鳴く声がしょうりょうが 」
「 そのへんまで、メジロがきちょるど 」
「♪ 」
亦、口笛を吹いた。
「 ・・ 」
私も真似て吹いた。

鳥かごの前にはトリモチの着いた小枝が架けられてある。
オトリの泣き声につられて降りて来たメジロが小枝に止まる、
小枝にはトリモチ
メジロの足にトリモチが着いて、
飛べないところを捕獲しようという作戦なのである。

  類似イメージ

「 もずを獲りに行こう 」
一級上の友がき・佐々木と二人で、小枝にたっぷりトリモチをくっ着けて山へ上った。
トリモチを持つ事が嬉しくて堪らなかった。
子供心に男のロマンを抱いて、
二人は意気揚々として上って行ったのである。
「 此処にしよう 」
松の木にトリモチの着いた小枝を仕掛けることにした。
ところが、どういうわけか
友ガキ ・佐々木のトリモチが私の後頭部にくっ着いた。
髪の毛にくっ着いてしまったのである。
私からは、くっ着いた様子が見れない。
友ガキ ・佐々木が、 取り除こうとしたが取れるものか。
「 泥を着けたら取れるど ! 」
・・・と、友ガキ・佐々木、
さすが一級上だけの事はある。
彼はそう云うと、
山の土を私のトリモチの着いた髪の毛にマブシタのである。
「  これで取れるど 」
   
↑ 物語はこのあたり
写真2階建ての向こう下に当時私の住む家があった 
1979.6.19 撮影

家に帰った私は、
母にひどく叱られた。
そして
お湯でもって、
大仏様のように成った頭を
ダンゴのように成った髪の毛を
一本ずつ洗い取ってもらったのである。


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