私の遠足の弁当
海苔巻きのおむすび ( 梅干入り ) に
油をひいて焼いたハムソーセージ
そして砂糖が入った厚巻の卵焼き
これが、定番であった。
・
これだけ・・と、言うな
これでも、私には
一番のご馳走だったのだから。
遠足
記憶するところは
昭和38年 ( 1963年 ) 三年生 ・・春・服部緑地
昭和39年 ( 1964年 ) 四年生 ・・天六から阪急電車で○○
昭和40年 ( 1965年 ) 五年生 ・・春・宇治平等院鳳凰堂・・・写真↑
昭和41年 ( 1966年 ) 六年生 ・・春・京都二条城
遠足の前日の晩
明日の不安で
いつも寝付きが悪かった
行き は必ず
バスに酔ったからだ
・・・リンク→林間学校
小学六年生、臨海学校天橋立往路でバスに酔った私
帰り のバス
♪
逃げた女房にゃ未練はないが
お乳、欲しがるこの子がかわい
子守唄など苦手な俺だが
馬鹿な男の浪花節
一つ聞かせようか ねんころり・・・♪
当時、
大ヒットした 一節太郎の 「 浪曲子守唄 」
マイクを持った私は、
ガラガラ声をしぼりだし、声帯模写 ( 物真似 ) して歌った。
「 これ、誰が歌っているの 」
・・・と、おんなせんせい が訊ねた。
「 ハナダクン 」
女子児童生徒が応へる。
「 フーン 」
「 行き 」 は、やっぱりバスに酔った。
途中、
最前列運転席の後ろの座席に変わって貰い、
青い顔をして
ビニール袋を握り締め
前方 ( フロント窓 ) の飛ばない景色を、ただ只管 見詰ていたのである。
その私が、
帰りは、後ろの座席で 「 一節 」 歌っている。
而も・・・調子にのって。
一
逃げた女房にゃ未練はないが
お乳欲しがるこの子がかわい
子守唄など苦手な俺だが
馬鹿な男の浪花節
一つ聞かそか ねんころり
「 そりゃ・・無学なこの俺を親に持つお前はふびんな奴さ、
あんな薄情なおっ母さんを呼んでくれるな、
泣くんじゃネェよ、泣くんじゃネェよ。
俺らも泣けるじゃネェか
ささ いい子だ ねんねしな 」
二
土方渡世の俺等が賭けた
たった一度の恋だった
赤いべべなど買うてはやれぬが
詫びる心の浪花節
二つ聞かそか ねんころり
三
どこか似ている飯炊き女
抱いてくれるなふびんなこの子
飯場がらすよ噂は言うなよ
俺を忘れて浪花節
三つ聞かそか ねんころり
「 シェーッ 」
赤塚不二夫、おそまつくん
キャラクター、イヤミのギャグ
今では、想像もつかない程、流行った
ちなみに
担任のおんなせんせい
六年生卒業前に行ったクラス茶話会で
この
「 シェーッ 」・・・を、やった。
負けず嫌いで、何にかにつけ厳しかった先生が、
初めて吾々に見せる おどけた姿であった。
おんなせんせい に、吾々がつけた あだ名はイヤミ
先生それを知っていたのである。
昭和38年4月、
愈々大阪へ引っ越しする際私は、普履かない長靴下で出かけました。
それが、『 イッチョウライ 』よそ行きの服装であったのです。
小学新一年生の記念の時と、此の時の二回だけ履いた記憶があります。