昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

林間学校

2017年07月21日 05時15分34秒 | 2 男前少年 1963年~

サラスポンダ サラスポンダ サラスポンダ レッセッセ
インゴニヤマ ゴニャマ
勿論のこと、意味など知る由もない
キャンプソング 「サラスポンダ」 ・・・焚火を囲んで歌った。
他に
「遠き山に日は落ちて」、「静かな湖畔」、「口笛ふいて」
・・と、記憶に残っている。
小学校の頃、林間学校や臨海学校で、きまって唄った。

昭和40年 ( 1965年 ) 7月
小学校五年生の吾々
林間学校として高野山へ



ビニール袋になった野球帽
朝食に、梅干しを食べた。
乗り物酔い予防の薬 「 トラベルミン 」 も、飲んだ。
それでも、
出発前はいつも緊張する。
送迎のバスが来た。
然し
既に私は、気分が悪くなっていたのである。
未だ、バスにも乗ってもいないと謂うのに。
小学校から、ナンバ駅まで、バスで約30分
案の定・・・
そして、南海電車に乗り込むとすぐ、吐きそうになった。
然し、それ用のビニール袋なんか用意する筈も無い。

どうしやう
我慢も限界に達した。

咄嗟に私は
被っていた帽子を脱いで、
それをビニール袋の代用にしたのである。
そして
その帽子を、窓外に放り棄てた

然し、このこと
「 自分の帽子に吐いた奴 」
・・・と
他クラスの者にも
私を、印象づけてしまったのである。


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