昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

ミックスされた記憶 「 金メダル と 母の白いブラウス 」

2021年03月30日 18時15分27秒 | 2 男前少年 1963年~

暁払い
トイレから出た私、
フト 廊下の窓から外を覗いた。
小径に母の姿があった。
久田さんの玄関前さきを、白いブラウスを着た母が歩いている。
「 お母ちゃんが 帰ってきた 」
・・・と、心の中で呟いた。
( この時の光景、瞼に焼きついている )


昭和38年 ( 1963年 ) の 秋冬か、昭和39年 ( 1964年 ) の 冬春に撮影

素面しらふの時は 「 仏のサッチャン 」 と 呼ばれる親父、
ところが、酒が回ると 「 鬼 」 に 変貌した。
目が坐って・・・斜にかまえて絡んで来る。
こうなると もう 誰も止められない。 兄弟でも嫌厭した。
兎に角 厄介で、ホトホト 傍迷惑な悪い酒である。
( 私は、このことを、  あの 『 てんかん 』 と、同じ様に、
  きっと 脳の何処かに傷があって、酒が回ると制御できなくなるもの
   ・・・と、そんな風に考えている )


親父32歳 申年、母30歳戌年。 ( 私10歳午年 )
普段は  『 犬猿の仲 』 と、笑った。

夫婦喧嘩は屡々あった。
喧嘩の素は、いつも親父が母への 八つ当たり。
親父が悪い。

一日の仕事を終えて戻ってきた親父。
「 酒 じゃ、酒出せ 」
酒は灘の生一本 「 白鶴 」 の特級。
卓袱台に用意された酒の肴に箸をつけながら、一升瓶からコップに酒を注 ぐ。
甲斐甲斐しく世話する母。
冷や酒のコップ酒・・・いつもと変わらない。
そして、いつもの様に 親父のひとり言 が始まる。
今日は頗る機嫌が悪い。

「 今日は 外で何かあったな 」
気に食わぬことがあったら、その鬱憤を ここで晴らす・・・いつものこと。
しかし、問わず語り ・・・・そんなことで
憂さが晴れるものか。
「 嫌な予感がする 」
酒も回った頃、やっぱり母に絡みだした。

修羅場
母も若かった。
「 うっかり ものも言えない 」
そんな場面で、いつも口走る。
「 おかあちゃん、黙って居ればええのに・・・」
「 ナニーッ !!
それを引鉄に、もう抑えきれない 鬱積した感情を爆発させた。
卓袱台をひっくり返した。
そして、手を挙げた。
そんなことが 『 男のロマン 』 ではあるまいに。
親父に正義は無い。

愁嘆場
殴られて、卓袱台の向うに俯 うつぶせ になった母。
俯 の儘、黙った儘、何やらしている。
何かしらん・・・覗くと、こぶしには 髪の毛の塊り。
母は己わがの頭髪、髪の毛を毟り取っていた。
「 お母ちゃん やめない 」
そう懇願しても、母はやめなかった。
それはもう、胸が絞めつけられるほど悲しかった。
斯の感慨、表現のしようがない。

母が出て行く。
私はその後姿を茫然と見送った。
「 おかあちゃん、どこえ 行くん 」
・・・想いは、声にはならなかった。
止められなかった。

テレビでは東京オリンピック
女子バレー
ソ連との決勝戦が中継されていた。

翌朝になっても、母が帰って来ない。
大阪で母が頼れる所と謂えば一つ、それは私でも分かった。
私は妹を連れて、長柄浜の伯母 ( 母の姉 ) の家を訪ねた。
来ていない 」
・・・と、伯母が言う。
眉間に皺を寄せた その顔に、嘘は無い・・・と、そう感じた。
「 どこえ行ったんじゃろ 」
10歳の少年の頭は、これ以上回らなかった。
( 上新庄の叔父 ( 母の弟 ) の家へ行ったのだ )
家に帰ると
親父は、床に寝そべった儘、何も云わない。
そして、何もしなかった。

母が居なくなって三日。
「 どこえいったんじゃろ 」 ・・・心配は募るばかり。
不安な気持で一杯であった。 淋しい想いをしたのである。
幼い妹は
訳も判らず 唯々 母恋しい
・・・そんな想いだったであらう。

四日目の朝
トイレから出た私、何気なく廊下の窓から外を覗いた。 ( ・・・二階に居住 )
そこには、小径を此方に歩く母の姿があった。
白いブラウスを着ている。 ( 出て行った時と服が違う・・・そう想った )
久田さんの玄関前さき まで 来た。
「 お母ちゃんが 帰ってきた 」 ・・・と、心の中で呟いた。
皆に知らせようと、廊下を走った。
そして 部屋へ入るなり、
「 お母ちゃんが帰って来た 」 ・・・と、声を弾ませた。
布団の上で、片膝を立て片足を組んでいた親父。
其の儘の姿勢で黙っていた。

母が帰って来た。
「 おかあちゃん 」
二人の妹は母親に抱きついた。 さもあらん。
さぞや、淋しい想いをしたであらう。
それを横目で見て見ぬふりの親父。
私は傍らで、母に抱かれて喜ぶ妹らの姿を見ていた。
そして安堵したのである。

然し、誰よりも安堵したのは親父だった。


金メダル。
しかし、
斯のシーン見る度に
『 愁嘆場 』
想い起すのである。
そして、
白いブラウスを着て帰ってきた 斯の光景を想い起す。


・・・と、
斯の物語、 ( 全ての物語に謂えることだが )

57年もの間、そう想い続けていた ありの儘 を記したもの。
ところが、こうして今 文章として纏めると、時期・時間の辻褄がどうしても合わない。
色々 想いを巡らせど、やっぱりスッキリしない。
母が家を飛出して数日帰って来なかったことは事実である。
金メダルの時、確かに夫婦喧嘩はあった。
ディティールは茲では語るまい。・・・・が然し。

二つの記憶がミックスされて、それを一つのものとして記憶している。
そう考えればれば、辻褄が合う。合点がゆくのである。

如何して、合わさったかの因は判らない。


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