昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

ドジョウの話し

2021年05月21日 04時22分52秒 | 1 想い出る故郷 ~1962年


めだかの学校は川の中

そっと覗いてみてごらん
みんなでお遊戯しているよ

書き込みは昭和37年 ( 1962年 ) までの、私の記憶に依るもの
 1962.05.26


ドジョウ

蒲刈病院の西側は田んぼで
その畦道に沿って、
チョロチョロと水が流れる程度の小川があった。
其処に、「 めだか 」 の学校があったのである。

斯の小川
ドジョウも多くいて
網でもって泥の中を掬へば、たいてい捕まえられたのだ。

昭和36年 ( 1961年 )
ドジョウを捕るのが
面白かった。
だから、毎週の如く出かけたのである。
いつも、ドジョウを持ち帰っては、結局 海に捨てた。
海に放すと案外、勢いよく水中へ潜って行く
「 ト ジョウは、海でも泳げるんじゃ 」
・・と、私は、その姿を眺めていたのである。
その後、
ドジョウがどうなったか知らない。

未だ乳飲み子の妹、
白い肌着を着ていた。

何故かしらん

その生後間もない妹と、ドジョウ捕りの小川に居た。

と、次の瞬間

妹が水の中に沈んだ。

スワッ 大変

水の中から助け出そうとしても

なかなか想う様にゆかない

「 妹が・・おぼれ死ぬ 」
 
と、直感した

その瞬間、私は絶望的な恐怖を感じたのである。

 

川底の泥の中から

ドジョウが顔をだして、ニョロニョロ 白い腹を見せながらこっちへ向かって来る。

何とも気持ちの悪い光景であらうか

恐怖で私は逃げた、田んぼの畦道を一目散に逃げた。

すると向こうに、ジョンを連れた要・叔父と出遭った    ( ジョン・・当時祖父母の家で飼っていた犬 )

「 カナアンチャン ・・ 」                   ( 6才年長の叔父 )

と、大声で叫んだのである。

・・・

夢である
遙か彼方、私が記憶する最も古い夢である。

私は
ドジョウを捕るのを止めた。


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