昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

ちょっと、つまづいただけの物語

2021年07月04日 12時48分21秒 | 3 青い鳥 1967年~


                                                                                 2年4組
昭和43年 ( 1968年
) 8月10日
中学二年の吾々は、
一泊二日の林間学舎を
大阪能勢の野外活動センターで行った。
一日の予定が終わると

宿泊は班毎にバンガローで取る。
宿泊の班構成は、
一クラス ( 全7クラス ) 男女2班づつ、4班に分かれた。



こぉらっ!!

バンガローでの解放感も相俟って、眠るのももったいない。
皆一様に昂揚していた。
だから、消灯後も中々就寝せずに、はしゃいでいた。
吾班の隣りに、他組 ( 6組、岩出の存る班 ) の男子の班があった。
彼等は、羽目を外して、一際騒いでいる。
バンガロー越しに、彼等の騒ぎが聞こえてくる。
「 6組の奴、やかましいな 」
「 ええかげんにせえよ 」
とは言いつつも、別に腹も立たなかった。
むしろ、吾々も彼等に続け
・・と、そんな気持ちで居たのである。
ところが、突然、静かに成った。
先生の声が聞こえる。
「 あいつら、怒られとるで 」
「 怒られとる 怒られとる、あいつらアホや 」
 
広場での集合写真に 6 組の 舟木が映っている
その後ろに顔だけ写っているのが 岩出
バンガローで、舟木が岩出と同じ班だったかは知らない


翌日、当人等に聞くと

「 電気消した後、真っ暗の中で枕投げしとったんや 」
「 いつの間にか変な奴が居ってな、お前、誰や ? 、言うたら 」
コォラッ!! や 」
「 それが、先生やってな 」
「 入って来たん、判らんかったんや 」
「 全員 正座させられてなあ、もう、怒られた怒られた 」
と、
怒られた事が、さも 武勇伝の如く、語ったのである。


ちょっとつまづいただけの物語

班毎に分れての夕食が終り
全員集合
キャンプファイヤーである。
一度広場まで降りたものの、忘れ物に気付いた。
引きかえさねば。
降りてくる皆とは反対に、一人上って行く。

途中
巾1メートル程のクリークに架かる床を丸太で組んだ木橋に差しかかった。
駈足で上る私は、偶々 そこで つまづいた。
ところが


丁度そこに降りてきた女子生徒○○弘子さん ( 中一の時の同級生 )
木橋に差しかかった時、
偶々、同じタイミングで、つまづいたのである。

「 アッ ! 」
ぶつかる・・・

然し、
物語は起きなかった。
咄嗟に伸ばした彼女の手が、
彼女を かばおうとした私の手が、
もうちょっとで 触れる所で 止まった。
お互い 顔を見合わせた。
彼女は 微笑んでいた。

私は、
そのまま駆け上って行ったのである。

偶々おきた、ほん些細なこと
でも、
どちらかが  ほんの僅か手前で

つまづいていたなら
物語りに為ったであらうに
「 おしかったなぁ 」

・・・は
後で想うことである。


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