昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

木枯し紋次郎の一膳めし

2021年08月22日 16時02分47秒 | 4 力みちてり 1970年~

「 木枯し紋次郎 」
昭和47年 ( 1972年 ) 一月一日より、フジテレビで放映されたテレビ映画
「 あっしには関わりのないことでござんす 」
は、誰し
も知るところである。

偶々見たる、めし屋 で紋次郎が一膳飯を食う場面

冷や飯に味噌汁と、いかにも粗末なもの
紋次郎・・膳が運ばれるや
冷や飯に味噌汁をぶっかけ、それをササッと箸で混ぜると
カッカカカッ・・・・
一機に腹ん中に流し込んだ
そして、看板の長楊枝を咥え、足早に立去る
・・・と、いうもの


昭和47年 ( 1972年 )
1月6日 ( 撮影・下辻 )
高校二年生の17才

クラブ ( 軟式野球部 ) も、オフの日曜日。
いつも目を覚ますと、昼はとうに過ぎていた。
「 ハラ、へったなあ 」
昼食は終ってすっかり片付いている。
「 いつ起きるか判らんから、仕舞をつけた 」
「 晩ご飯まで待て 」
・・・と、母が言う。
然し、晩ご飯まで、この空腹に堪えることなぞ出来るものか。
この空腹如何して呉れよう
・・・と、覗か
鍋に僅か味噌汁と、
電気釜に冷や飯が残っているではないか。
然し、如何せん残りもん、美味い筈もなからう・・が
は、冷や飯に味噌汁をぶっかけ、それをササッと箸で混ぜると
カッカカカッ・・・・
一機に腹ん中に流し込んだ。
ところが然し
それはもう、美味かったのである


紋次郎の一膳めし
美味い・・・との想い
それは、今も尚、変らないでいる。
卵の入った、じゃが芋とワカメの味噌汁、
これに、刻んだネギを入れ、熱い味噌汁を啜る。
そして、汁が半分弱になった頃合いに、
斯の如く斯の様に食する。
もう堪らない
・・・至福の味わいなのである。

此を、貧しいと、品がないと、吾妻は嫌う。
然し、吾食が大時代の呑百姓 並 であらうとも、
「 うまいもん は うまい 」
・・・のである。

「 余は満足じゃ 」


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