昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

切身の塩サバ 一つ

2021年08月21日 15時09分51秒 | 3 青い鳥 1967年~

「 オイオイ、そんなん有りか 」
「 なんやお前、そんなん持ってきて、怒られるゾー 」
「 シルカー、俺が包んだんちがうわい 」
「 オッ、それ凄いな 」
「 俺にも見せろ 」
「 なんや、ナンヤ 」

弁当箱の包み紙を開くと
ディリースポーツ
こともあらうに

ポルノ洋画のワンシーン写真が一面に掲載されている。
普段、見たくても恥ずかしくて、堂々とは見れないモノである。
もう、昼飯し食ってる場合ではない。
女子の冷やかな視線も お構いなく、男子連中こぞって集った。


昭和42年(1967年) ツィギー来日により 世はミニスカートブームに

昼食は弁当
昭和42年 ( 1967年 )

我が淀川中学、給食なぞ無かった。

昼飯しは弁当
新聞紙に包んでカバンに入れると
偶に、オカズの汁がカバンの底まで染みた。
唯一、お茶のサービスがあって
当番が、湯沸室からお茶の入ったヤカンを運んだ。
男子は、弁当箱の蓋をコップに代用した。
女子の様に、myコップ を、持つ者なぞ誰も居やしない
湯沸室

ご飯の代わりに、パンを持参する者もいて
そのたいていは、アンパン、ジャムパン、クリームパンと牛乳
中には、菓子パンやクロワッサンとか謂うハイカラなモノを持って来る者もいたが
いずれにしても、パンは少数派であった。
その中に一人
食パンにマーガリンをぬって 淡々と食べる男子生徒がいた。
母一人兄妹二人の家庭である。
「 ・・・・」
その姿を目の当たりにして
だれも
冷やかしたり、茶化したり ・・そんなこと できるものか。


  
玄関袖勝手口            通用門
風紀委員に札を見せ通過          登下校時のみ開門


ちょっとした
 油断
弁当を持ってくる・・が、困難な家庭の者も存る。
彼等は、4時間目の授業が終わっての昼休み、特別に校外に出ることを許された。
昼食の食料品を買う ・・・が、条件である。
許可証の札を見せれば、風紀委員が、勝手口を通して呉れた。
偶々弁当を忘れた者や、その日に限りパン食の者等も大目に見てもらっていた。

偶にはパン食も 良いだらう ・・・と、その日はパン食の私
許可証を得て、正門袖の勝手口へ
いつものとおり、門番をする風紀委員の他に、4、5名の生徒がいる。
その中の一人から、声がかかったのである。
「 ハナダ 」
見れば、三年生の原田さん。
彼は、軟式野球部のキャプテン
「 高校から、スカウトがきたんやて 」
特待生として野球進学する ・・という噂の主である。
小学六年生の時、北毛馬公園で面識があり
私は彼から
「 中学に上がれば野球部に入る様に 」
と、勧められていたのである。

然も彼は、生徒会会長
吾々の入学式に於いて、生徒会会長として祝辞を述べた。
彼の、その低音 且つ 囁く斯の如しのスピーチは、印象的で

「 さすが中学三年生 」
「 大人だと 」 ・・・と、母を感歎させた程の人物である。
その大先輩が
「 頼むわ 」 ・・・と
私の許可証を利用するのである。
断れることなぞ できるものか
「 いいですよ、で・・何を買うんですか 」

「 チェリオ 買うてきて 」

野球を通して顔見知りの後輩の私
その気安さが、生徒会会長と謂う己が立場を忘れさせた。
ついつい
先輩後輩と謂う 普段の ノリ が、勝ったのであらう。

 
昭和42年 ( 1967年 ) 5月30日  六甲山

弁当のオカズは
切身の塩サバ一つ
昭和42年 ( 1967年 )
中学一年五組

昼飯しの時間のこと
 
同級生・谷口
教卓に腰掛けて私の弁当を上から覗き込んでいる。
最前列 中央教卓前が私の席
「 嫌な奴やな 」
・・・
とは、想えど
「 見るな、退いて呉れ 」 ・・・とは、言えなかった。  (ノイテクレ)
男前の私
弁当箱の蓋を立て、隠して食べる芸当なぞ できるものか。
「 オカズが貧阻だから恥ずかしい 」
・・・とは、想われたくなかったのだ。
男は豪快に ・・・誰もが持つ信条
そんなことくらいで恥ずかしがっていては、男が廃る (オトコガスタル)
そんな信条に縛られているのだ。 (・・・何が豪快なものか)

それでも、精一杯の痩せ我慢
なに喰わん顔をして、淡々と、カバンから弁当箱を取り出した。
今日は
通常の弁当箱 + オカズ入れ小箱、更に味付海苔一束
「 オッ、ハナダ今日は豪勢やな 」
私もそう想った。
普段なら弁当箱一つ
その中に粗末なオカズが入っている。
然し、今日は普段と違う
期待できる  ・・・と、そう想った。
そんな気持ちで以て、オカズ入れの蓋を開けたのである。

「 ・・・ 」
谷口
なんにも言わず
気まずそうな顔をして
スゴスゴと自分の席に戻って行った。

なんとまあ
おかず入れの中は、切身の塩サバ一つ
なんのことはない
普段の弁当箱のオカズが、
わざわざオカズ入れの小箱に入っていただけなのである。

  アルマイトの弁当箱
  私の場合、仕切板のみ
  普段、オカズ入れは使わなかった
  物語の日に限って登場したのである

 

 



弁当のオカズ

がぜん良くなったは、高校に入ってからのこと
私が、切身の塩サバ一つ の話、する度に
「 あの頃は、貧乏していたから 」
「 それに、(上手な)弁当の作り方 知らんかった 」
母は
いつも笑いながら
そう答えた。


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