昭和43年 ( 1968年 ) 中学2年生
英語の授業中のこと
・
not only A but also B
・・を使った英文
「 英文を訳せよ 」 と、教師・森先生
予習をして授業に臨んだ私、ここぞとばかり、手を挙げた。
そして、自信を持って堂々と答えた。
「 良し 」 ・・・と、先生。
ところが
「 ちよっと違う 」
・・・と、
クラスの秀才・橋本、
そう洩らすように言った。
当時人気のTV番組、「 アップダウンクイズ 」
・・・に、出場して トップに輝いた。
それ程 優秀なる頭脳の持主である。
彼は、教師が 「 良し 」 と したことが不満だったのである。
先生がそれに応える。
「 訳が多少違っていても、直訳としては間違っていない 」
「 かまわない、それでいい 」
「 自信を持って答えるが大事なことである 」
そう諭したのである。
昭和43年 (1968年 )
メキシコオリンピックが行われた。
マラソン・君原の銀メダルには感動した。
体操日本の金メダル、加藤沢男の演技に、
重量挙の三宅兄弟に、
女子バレーに、
日本中が歓喜した。
そして、
吾々はサッカー ・釜本を観たのである。
メキシコオリンピックで得点王の釜本
体育の時間
サッカーの実技テストが行われた。
独り ( 相手は居ない ) で、ボールをドリブルしてゴールを決める。
此が課題であった。
普段、休み時間にはサッカーをする ・・・が、専らの吾々。
誰もが 「 吾こそは 」 と、張りきったのである。
そんな中、クラスの秀才・橋本
彼の想いも、皆と ちっとも違たがわなかった。
「 ピーッ ! ! 」
体育の教師、鉄人・吉田の笛が鳴り響く
と 同時に、40名が見つめる中
「 イザ行かん 」
と、勢いよく跳びだした。
ジグザグ・・・ドリブルして行く。
滑り出しは如何にも順調である。
後ろで彼の動きに目を遣る吾々
「 オッ、(あいつ) ヤルやんけ、頑張っとるな 」
そう・・・観えた。
当人もそう想ったであらう、背中せな がそう物語っている。
皆がそう想った次の瞬間
・
ガハハハハハ
それはもう
爆笑の渦と化したのである。
ドリブルからシュート
クライマックスは釜本の如く
格好よくシュートを放ちたい・・は誰しもが懐く想いであらう。
されど吾々は、釜本ならずや
邪魔する相手は居ないけれど、
ドリブルしもって 転がるボールをそのまま蹴る芸当、
推う以上に難しく、シュートを仕損ずることも少なくはなかった。
「 空を蹴る 」 ・・・を、見ることもあった。
ボールに乗った少年
頭脳明晰な彼、
試験の課題はドリブルしてシュートすること と ちゃんと分っている。
確実にシュートするために、転がるボールを一旦静止させよう、
・・・と、咄嗟に判断したのである。
(テストの) 点を取るとはそういうこと、
だからその判断は間違ってはいない。
「 さっそうとシュートを決める 」
・・・とはゆかないが、
確実にシュートするのだから
ああ、それなのに
天は彼に味方しなかった。
転がるボールを踏み
ボールを静止すること適わず、
況んや
ボールに乗っかって
おもいっきり転倒したのである。
嗚呼 そんな器用な芸当、誰が真似できようか。
それは如何にも、
チャップリン喜劇の 一シーンを見る如き光景であった。
当に漫画やテレビではお目にかかれども、現実では滅多に拝めるものではない。
彼にとっては真に悪夢であったらう。
対称に吾々は、
スタートからすると真逆のドンデン返しの展開に、想わず吹き出した。
斯様な場面に遭遇して何人と雖も、
笑いを堪えることなぞできるものか。
素直に大笑いしたのである
一同、笑ったものの
ハッとした
「 叱られる 」
・・・と、そう想った。
そして、
教師の顔を覗いた。
・・・
鉄人・吉田
・・・も、笑っていた。
not only A but also B
A のみならず B も
・・・とは、行かないものである
儘ならぬも
此れ人生・・哉
そう想う