昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

一緒に行ったろかぁ

2022年07月22日 17時30分24秒 | 3 青い鳥 1967年~

「 あの先生、いかりや長介に似てる 」
・・・と、面接官を指して母が言う。
清風高校、親子面接での待ち時間中のこと。
私の緊張を解す為
・・・にと、吾母の気遣いである。


面接は円形校舎で行われた
高校入試
昭和45年 ( 1970年 ) 1月
愈々、高校受験
公立高校に入るは絶対、失敗は許されない。
ブレッシャーとストレスの最中さなかに居た。
私立高校の入学試験 ・願書受付が始まると
やはり、不安は募るばかり
そこで
試験馴れにと、万が一の滑り止めにと、
言い訳がましいが保険とばかり、公立と私立を併願受験することにしたのである。
然し、これはあくまで、試験馴れ・・・だと、確と自分に言い聞かせて

どんでん返し
「 誰が言ったか知らないが 」
大阪電気通信高校 が公立との併願で受験出来ると聞くや
此処で、模擬テスト を受けたことがあり、アクセスには馴染みがある。
「 是幸い 」・・と、ばかり
勇んで、守口市橋波西之町に在る高校へ行軍したのである。
友ガキ ・舟木が行軍に付合って呉れた。 ・・・持つべきは友 哉
願書を受取っての帰り道は淀川堤
 2008年頃の豊里大橋

万博道路として完成直近 (マジカ) の豊里大橋を眺めつつ、帰宅したのである。
ところが
願書の書類を見て驚く勿れ
合格すれば即座に3万円の入学金を納めよ・・と
3万円は大金であらう。
「 なんやこれ、専願と同じやないか 」


振出しに戻り
併願できる高校を探さねばならない。
「 お前、どこにしたんや 」
「 清風高校にした 」
「 そこ、併願できるんか ? 」
「 できるよ 」
「 ほんまか、俺も清風にするわ 」
然し既に、多田、早坂、山崎 の三人、
連れ以て願書取りに行ったとのこと。
「 しもたぁ・・・」
私は清風高校が何処にあるのかさえ知らないのであるから
当然、そのアクセスの仕方も分らない。
独りでは何とも心細からう
「 困っちゃうな、どうしやう 」・・・冗談ではない、本当に困った。
救世主現わる
・・と

傍で話を聞いていた、同級生 tei
「 一緒に行ったろかぁ 」
・・・
と、手を差し伸べて呉れたのである。
よくよく、しょげている私を 見るに見かねてのこと
嗚呼、神様 仏様、tei
赤川橋から市バスに乗って上本町へ
清風高校は、まさに都会の真っ只中に在った。
そして
無事に、願書を受取ることができたのである。

学校を見学しよう・・と
狭い運動場を覗くと、
そこには放課後のクラブ活動に精進する多くの高校生の姿を認めた。
そして、未来の先輩達 ( ? ) から声がかかる。
「 君等、入学したらアメラグ部に入れよ 」

初めて見る、コスチュームは、さすがに、あか抜けていた
「 アメラグ ? 」
「 アメラグ 謂うたら アメリカンフットボール のことや 」 ・・・と、tei
紅い夕陽が校舎を染める
目的は果たした。
晩くなるから、さよならしよう

帰りのバス
帰宅する人、人、人で、もう満員のバス
坐れるところなぞ有ろう筈もない
窓外の景色を眺むれば、とっぷりと暮れていた
30分は経ったであらうか、そろそろ赤川橋に着く
満員の車内、出口へ移動しようと、吊り革を持つ手を外したところ
座席のサラリーマン、運悪くも同じタイミングで立ちあがったのである。
そして
私の左肘が座席のサラリーマンの頭上を打った
「 痛ッ !! 」
「♪ごめんなさいね わたしを許して~ 」
・・・と、心で詫びた。

救世主 tei 、本当に世話になった。
「 ちゃんと、お礼をしとくんやで 」 ・・・と、母親。
当時流行のボーリング場でのプレイをプレゼントしたのである。
・・・
リンク生涯最高のスコア


コメント    この記事についてブログを書く
« 8 大和撫子 | トップ | 生涯最高のスコア・・・ »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。