昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

一つの写真との出遭い

2016年05月21日 19時59分24秒 | 5 右翼青年 1974年~

私が小学四、五年生の頃、  ( 昭和39、40年 (1964、1965年)  )
「 戦前の日本には 『 国士 』 が存た 」
そう、聞かされた。
私は、親父が謂う 『 国士 』 という響きに、
なにかしらん
ロマン・・と謂うものを、感じ取ったのである。

昭和5年 ( 1930年 ) 
東京駅で浜口雄幸首相を襲撃した
佐郷屋留雄

昭和50年 ( 1975年 )、
私は、斯の写真と出遭った。
偶々は、逢うべくして 遇った と、同じ意
少年の頃、親父から聞きたる  『 国士 』 とは、
此を謂うのであらうや ・・・と、そう想った。
そして、
『 日本人の面構えは斯くの如き 』
・・・と、そう感じたのである。
然し、
その理由は、説明できない

そして更に
 
西田税 
斯の写真との出遭いは衝撃であった
これぞ
日本人
私の理想とする、日本人の面構え ・・哉
それは真まさに、『 国士 』
・・・と、そう確信したのである
私は 斯の写真に
私のDNAの中に存する、
『 国士 』 への憧憬をみたのである


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