昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

俺の目を見ろ 何にも言うな

2022年08月01日 05時12分44秒 | 2 男前少年 1963年~

大東商店街に
「 昭映 」 という映画館があった。
昭和42年 ( 1967年 ) 正月
10歳年長の叔父に連れられて
初めて大人の映画を観た。

当時人気の東映任侠映画
「兄弟仁義・関東三兄弟 」
昭和41年 ( 1966年 ) 12月31日封切
鶴田浩二、里見浩太郎、北島三郎
村田英雄、藤純子・・出演

義理と人情の男の世界を描いたもので
小学6年生 ( 12歳 ) の、純真無垢な少年には
その印象は、強烈であった。
危険な映画だったのかも知れない。


親の血をひく兄弟よりも 固い契の義兄弟
こんな小さい盃だけど 男命をかけて飲む
命を賭けてこそ男・・と
肝に銘じたのである。


俺の目を見ろなんにも言うな  男同志の胸のうち
ひとりぐらいはこういう馬鹿が  いなきゃ世間の目が覚めぬ
若き日の北島三郎が歌う 「 兄弟仁義 」
この文句に シビレタ のである。


義理だ恩だと並べてみたら  恋の出てくるすきがない
後はたのむと駆け出す路地に  降るはあの娘のなみだ雨
若き日の藤純子、演じる 「 あの娘 」
なんと可愛いあの娘 
女は斯くの如きもの・・・と、そう想ったのである。

私は、感動してしまった。
それは、吾心に響いたのである。
理不尽で卑怯な悪党に対して
辛抱・我慢の果てに
敢然と立ち向かう侠客の姿を
カッコイイ と、そう想った。
これぞ、男の中の男
・・・と、
これぞ、男の世界   ・・・と、
憧れを持った。
そう想う自分を、カッコイイ・・と、男前だと、
・・・そう想ったのである。

 昭和42年1月1日
男が カッコウ を ツケル ・・・とは、
生命を賭ける  ・・・とは、
如何いう事なのであらうか。
それは
何も、任侠の世界と謂う特殊な世界のものだけに限るまい。
キッタハッタのヤクザな行動や、用語を取除いて
或は、置き換えて観らば
そこに有るは、真実 ( マコト ) 己の姿であらう。
・・・リンク→おんな せんせい


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