昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

三島由紀夫の死 雷の衝撃

2021年02月09日 05時02分04秒 | 10 三島由紀夫 『 男一匹 命をかけて 』

昭和45年 ( 1970年 ) 11月25日 ( 水 )
三島由紀夫、
市ヶ谷台上にて、クーデッタを促し、壮烈なる割腹自殺


三島由紀夫がなぁ、自衛隊で、クーデターを起こそうとして
失敗して、切腹して死んだそうだ
2.26事件を、想い起こしたよ

高校1年、一日の授業を終えた後の、ホームルームの時間
担任より、知らされたのである
教室は重苦しい雰囲気に包まれた、クラスの皆も、ショックを受けたようである
皆が、口々に喋って居る
皆は、「三島由紀夫」 を、知っているのである
然し
十六歳、無垢の私
「三島由紀夫」 を、全く知らなかった

・・・
憂 国

下記は
当時の二十歳の青年が、事件への想い綴つたものである
此を、
総括 三島由紀夫の死 ( 奈須田敬著 ) の中で觀た

雷の衝撃
この事件が、ある予備校生に与えた衝撃はただならぬものがあった

三島由紀夫の死は 否定も肯定も超えて 僕に大きな衝撃を与えた。
自己に内在する 『 何か 』 から 故意に目を外らしていた僕の首を力づくで、そこへ向けてしまった。
それは 『 死 』 であった。
『 武士道は 死ぬことと見つけたり 』
という文字を何回読んでも 遂に実感しようとしなかった僕を、彼はなぐりつけた。
獅子の皮をかむって歩いていた僕が、実は下らないロバに過ぎないことを、彼は冷たく指摘した。

この若者は、一歩すすめて、堂々と、「文化人」批判をはじめる

「 僕は彼の死に、
軍国主義復活の、ホモ・セクシュアリィの、美学完結の、文学的行詰りの、マゾヒズムの、ナルシズムの
----レッテルを貼らない。
レッテルを貼ることによって 『 頭で理解する 』 ことになるのを怖れるからである。
レッテル貼りは、そういう趣味のある人に任せておく。
そういう人は、自分の死についても何かレッテルを貼るのであろう。
それも一面的な、おまけに間違った、あらずもがなのレッテルを。
つまり自叙伝を書いて自分の人生を化石化したりするのであろう。
『 二日たてば 忘れるくせに 』 と 言った、 『 民衆の代表 』 いいだ・もも氏
民衆は果して本当に忘れたか。
生前の三島由紀夫氏が
とっくに自分で語ってしまった ”問題点” を もっともらしく指摘して
方々に書き散らした、なだ・いなだ氏・・・・・・
レッテル貼りはどうしても生き残ったことの弁解にしか見えない。
人は海を想起するとき、それを絵のように静止した形で頭に描くだろうか。
僕は寄せては返す波として、あの事件をとらえている 」

いいだ・もも、なだ・いなだ両人が
「 レッテル貼り 」 かどうかは別として、

「 寄せては返す波 」 として、三島事件をとらえようとする発想は、
きわめてユニークといわねばならず、

示唆しさされるものがある
この予備校生木村雄君の目のさめるような、しめくくりの言葉に耳を傾けたい

「 ある人は、”事件の影響を受けるな” と ペンで言う。
でも 僕はもう受けてしまった。
それらの人の言葉は雷どころか
乾電池ほどの衝撃も僕には与えてくれない

戦争を知らない子供たち ---雷の衝撃と三島嫌い ・・から


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