天気 晴
一昨日行った、昭和記念公園の「こもれびの里」のカメラの写真。スマホの写真は未だにコツが良く解らないので、ただシャッター押すだけ。同じ風景でもやっぱりカメラの方が綺麗に撮れる。
でもこの「藁ボッチ」の写真、「藁ボッチ」って広辞苑に載っていなかった。ショック。関東平野しか使わないことば?時々、子供の頃から使っていたことばが全国的ではないのかも・・と思うことがある。この辺りでは何と呼んでいたのだろう?
稲塚、というのが正式な名称なのだろう。稲架(はざ)の一種ではある。
稲塚、というのが正式な名称なのだろう。稲架(はざ)の一種ではある。
ちなみに、この辺りは江戸時代に開墾された畑作地帯、田んぼはないので陸稲(おかぼ)を育てていたらしい。
干し柿は、関東ならどこにでもある風景だ。私も子供のころに母を手伝って柿の皮剥きくらいはしたものだ。今頃から干すと、正月には甘い甘い干し柿になる。
幼稚園児の団体と一緒になったり、見に来ているグループが居たりでノーマスクとはいかず、ゆっくり出来なかった。でも、蕎麦畑はもう収穫したあと、畑には何も育っていなかったし。
今日は昨日よりも薬の副作用でどうにもフラフラがひどく、本を読む気になれない。眠くて仕方がない。まだ吐き気までは来ないが動くと胸もムカつくし・・
あまり楽しくない薬の投与、いつまで継続するのかなあ、一生続くのかなあ、などと考えてしまう。天気の良い日に外へ出られないと、なおのこと。ま、目まいの軽くなる日もあるでしょう。富士山の写真でも見て我慢我慢。
日の撥ねるソーラーパネル冬隣 KUMI
「藁ぼっち」当地では「いなむら」と子どもの頃から言っていまして、かくれんぼの格好の場所でしたし、子どもながらに、風の強い日、話し込む時はいつも「いなむらで話そっ!」が合言葉でした。お大事に。
色々、地方により呼び名はあるみたいですね。実は昨夜「藁ぼっち」でyahoo検索してみたら、あら!ふきのとうさんの2014年のブログに繋がりました。びっくりです。それこそ、今は稲架同様、普通には見られなくなりましたね。
我が家の実家にも渋柿があって、この時期は父が縁側に座って干し柿づくりをしていたのを思い出しました。
2011年の10月末に両親が倒れて私の介護生活が始まりましたが、諸々の用事で実家に行った際、作ったばかりの干し柿が軒先に吊るしてありました。
その後2人とも病院と施設暮らしが始まってしまったので、結局両親ともその干し柿を食べる機会は訪れなかったのですが・・・。
お薬の副作用でお辛そうですね。
眩暈が少しでも軽くなります様に!
お大事に。
折角作られて、食べられなかったご両親・・哀しいですね。
どうして庭に渋柿ばかり・・と思いますが、子供の頃、母に教わりました。
渋柿なら干したり渋抜きしたりで保存できるから、と。
なるほど、保存用だったのですね。
田舎へ行くとどの家にもあった理由が解りました。
こちらの地元野菜の店、干し柿用に渋柿を売っていました。
生きるのも大変。でも、治療してくださるドクターが皆さん親切。
年とってるからいい加減でいいのに・・などと、患者の私の方が思ってしまいます。
私はスマホもカメラもコツが分かりません(笑)
フイルムカメラの方が理解できていたような気がします。
>同じ風景でもやっぱりカメラの方が綺麗に撮れる
私もそう感じますね!
最近辞書は全く使わなくなってます。
漢和に国語に英和に古語などなどたくさん持ってはいるんですが・・・・。
すみません「藁ボッチ」のことでしたね。
検索したら昭和35年~45年頃の茨城弁集というのがありましたね。
ウイキペディアには、福島県・茨城県・栃木県とも出ています。
>田んぼはないので陸稲(おかぼ)を育てていたらしい。
へーっ、そうなんですか。
私はまた、日本中に水田があったのかと思っていまいた。
干し柿は福岡の家でもやっていたし、たくさん見かけていましたが、現在は全く見ません。
ああ、渋柿が成っている家がないですものね(笑)
>蕎麦畑はもう収穫したあと、畑には何も育っていなかったし。
絵になりませんね(笑)
>富士山の写真でも見て我慢我慢。
そうですね、私も家内も体に多少の変化があるだけで騒いでいるんですから・・・。
文面を見ているだけで、いかに大変かを想像してしまいます。
有難うございました。
液晶画面を見て写真を撮れと言われても・・
ということでデジ一から離れられないようです。人間が古いのですね。
あの・・辞書はすべて、電子辞書です。
広辞苑から歳時記まで文庫本の大きさに何十種も入っています。
おまけに名作小説やら英会話も・・
私は辞書は殆ど家と一緒に捨ててきました。
コロナで、旅行にも行けなくなっていた方がたくさん。
動けるうちにあちこち行きましたから、もう行けなくてもいいか、と。
夫が亡くなったことがちょうど、諦めの潮時でした。