2チャンネルにMixi内のコメントが貼ってありましたので、転載させていただきます。上祐さんはMixi内で、結構はっきり最終解脱に関して説明されているのですね。
『374 :神も仏も名無しさん :2007/04/06(金) 01:05:21 ID:N+XXRc2J
Mixi[上祐史浩・新団体 意見交換の場] トピック
■問い
現在の上祐氏の意見は、「麻原は解脱していない。
グルとしての力はなかった」という見解だということでよろしいか?
■上祐氏回答
多少詳しく述べますと、そもそも、解脱という言葉自体があやふやで、
教団では、松本氏を、最終解脱者としていましたが、
1最終解脱とは松本氏の造語に近く、かつ。
2松本氏の最終解脱は、他者ではなく、松本氏の自己認定ですから、
「実体がないものだった」と考えています。
よって、解脱とは何か、ということから、見つめ直さなければ成りません。
また、グルとしての力については、その定義によりますが、
一定の霊的な体験をさせる力はあったが、本来のグルが導くべき、
心の成熟、愛の増大には導けなかった、と考えています。』
是非とも解脱とは何かということについて、見つめ直していただきたいものだと思います。そして、新教団を立ち上げる前に、オウムの解脱と一般的な解脱との違いを、明らかにしていただくことを要望いたします。
未だに、麻原尊師は最終解脱者で、すべての衆生より最優先されるべき人物と信じている信徒、サマナがまだ数多く存在しますので、是非早急に検証し、上祐さんの見解を示していただきたいものです。
私が上祐さんとメールのやり取りをしていた時の、麻原さんの解脱に関する質問に対しての、上祐さんからの回答の一部も参考のためここに掲載させていただきます。
『> 解脱という言葉がでましたので、改めてお聞きいたしますが、麻原さんは解脱はしていなかったということでよろしいのでしょうか?この点を明確にお答えいただければと思います。
「それは解脱の意味によるでしょう。 カールリンポチェ師は、麻原氏に、体験と悟りは違う、悟りは体験をコントロールできる状態だ、と繰り返し語っていました。
自分が推察するに、激しいヨーガの行法や、独自のグルイズム(シヴァ大神への帰依)で、自我意識の破壊の体験はあったものの、物の考え方が二元的なので、恒常的な自我意識の破壊はなかったのではないか、と思います。
麻原氏とオウムは、よく、「体験がしなければ、体験なければ」と言いましたが、それは逆に言えば、一時的な体験はあるが、完全にコントロールされていない、というのが、オウムの特徴だったのではないか、と思います。
この一時的な状態は、ヨーガの行法で物理的にナーディを開いたり、麻原氏なりのグルイズムによって、経験出来るものではないか、と思います。
実は、この前書きましたが、麻原氏は自分は最終解脱者だとは言っていましたが、サマナ向けのでは、「一度体験のある最終解脱」という表現を使った説法があります。さらに、最終解脱の上に、最終完全解脱がある、としています。
よって、麻原氏の説法を精密に分析すると、麻原氏自身が、
1完全な解脱(最終完全解脱)をしたわけではなく、
2「最終解脱」とは完全な解脱を意味せず、その手前であり、
3しかも、その「最終解脱」の状態も、一度体験しただけである、
ということが分かるのです。
そして、弟子も同じように、オウムの修行では、極厳修行や集中修行で何か一時的に体験するものの、その後が続きません。信徒さんも、セミナーの時は何かしら体験しますね。
しかし、自分が思うには、真の悟りは、ヨーガ行法やグルイズム的な手法だけではなく、それは否定しませんが、それよりも重要なことは、日頃の物の考え方を、徹底して一元的になるように訓練し、それを長年積み上げてこそ、得られるものなのかな、と、今は、考えています。
よって、麻原氏が解脱していたかどうかは、解脱の定義によりますが、チベット密教的な定義、カールリンポチェ師的な定義では、解脱ではないでしょう。
「解脱的な状態」の一時的な体験を解脱といえば、解脱ですが、それは、オウム的な定義であり、オウム以外で通用しないでしょう。」』
*シヴァの喜びさんによれば「ヨーガ的にでさえ解脱ではない。」そうです。
『374 :神も仏も名無しさん :2007/04/06(金) 01:05:21 ID:N+XXRc2J
Mixi[上祐史浩・新団体 意見交換の場] トピック
■問い
現在の上祐氏の意見は、「麻原は解脱していない。
グルとしての力はなかった」という見解だということでよろしいか?
■上祐氏回答
多少詳しく述べますと、そもそも、解脱という言葉自体があやふやで、
教団では、松本氏を、最終解脱者としていましたが、
1最終解脱とは松本氏の造語に近く、かつ。
2松本氏の最終解脱は、他者ではなく、松本氏の自己認定ですから、
「実体がないものだった」と考えています。
よって、解脱とは何か、ということから、見つめ直さなければ成りません。
また、グルとしての力については、その定義によりますが、
一定の霊的な体験をさせる力はあったが、本来のグルが導くべき、
心の成熟、愛の増大には導けなかった、と考えています。』
是非とも解脱とは何かということについて、見つめ直していただきたいものだと思います。そして、新教団を立ち上げる前に、オウムの解脱と一般的な解脱との違いを、明らかにしていただくことを要望いたします。
未だに、麻原尊師は最終解脱者で、すべての衆生より最優先されるべき人物と信じている信徒、サマナがまだ数多く存在しますので、是非早急に検証し、上祐さんの見解を示していただきたいものです。
私が上祐さんとメールのやり取りをしていた時の、麻原さんの解脱に関する質問に対しての、上祐さんからの回答の一部も参考のためここに掲載させていただきます。
『> 解脱という言葉がでましたので、改めてお聞きいたしますが、麻原さんは解脱はしていなかったということでよろしいのでしょうか?この点を明確にお答えいただければと思います。
「それは解脱の意味によるでしょう。 カールリンポチェ師は、麻原氏に、体験と悟りは違う、悟りは体験をコントロールできる状態だ、と繰り返し語っていました。
自分が推察するに、激しいヨーガの行法や、独自のグルイズム(シヴァ大神への帰依)で、自我意識の破壊の体験はあったものの、物の考え方が二元的なので、恒常的な自我意識の破壊はなかったのではないか、と思います。
麻原氏とオウムは、よく、「体験がしなければ、体験なければ」と言いましたが、それは逆に言えば、一時的な体験はあるが、完全にコントロールされていない、というのが、オウムの特徴だったのではないか、と思います。
この一時的な状態は、ヨーガの行法で物理的にナーディを開いたり、麻原氏なりのグルイズムによって、経験出来るものではないか、と思います。
実は、この前書きましたが、麻原氏は自分は最終解脱者だとは言っていましたが、サマナ向けのでは、「一度体験のある最終解脱」という表現を使った説法があります。さらに、最終解脱の上に、最終完全解脱がある、としています。
よって、麻原氏の説法を精密に分析すると、麻原氏自身が、
1完全な解脱(最終完全解脱)をしたわけではなく、
2「最終解脱」とは完全な解脱を意味せず、その手前であり、
3しかも、その「最終解脱」の状態も、一度体験しただけである、
ということが分かるのです。
そして、弟子も同じように、オウムの修行では、極厳修行や集中修行で何か一時的に体験するものの、その後が続きません。信徒さんも、セミナーの時は何かしら体験しますね。
しかし、自分が思うには、真の悟りは、ヨーガ行法やグルイズム的な手法だけではなく、それは否定しませんが、それよりも重要なことは、日頃の物の考え方を、徹底して一元的になるように訓練し、それを長年積み上げてこそ、得られるものなのかな、と、今は、考えています。
よって、麻原氏が解脱していたかどうかは、解脱の定義によりますが、チベット密教的な定義、カールリンポチェ師的な定義では、解脱ではないでしょう。
「解脱的な状態」の一時的な体験を解脱といえば、解脱ですが、それは、オウム的な定義であり、オウム以外で通用しないでしょう。」』
*シヴァの喜びさんによれば「ヨーガ的にでさえ解脱ではない。」そうです。
一部に噂されるようにK●あたりとの連携の下、ソフトランディング解散をたくらんでおられる? 単なる魔境? いや大乗ヨーガから報身のヨーガ成就に向けてヴィシュッダの完全浄化のためのお言葉との観測も聞いたぞ。後二人のエメラルド色さんとのバトル。巻き込まれて踏み潰される下っ端はやっとられん。
それも、上祐氏の口から出ているので、驚きでつ。)
これで、ますます、教義を保存しなければという気になりました。(藁)
わたしは以前から、最終解脱や、
阿羅漢=正悟師とみなす教義に疑問を持っておりましたが、
さらに疑問が広がりそうです。
こういう状態になって、
さぞかし、喜んでいる方もいるのでは?
ともかく、
阿羅漢が性行為や出産なんてするものか!
と思う者は、わたし一人ではないでしょう。
全くその通り!
아벨@えいべる股引教教祖様のお力で、
衆生救済を進めていただくしかないですな。
まずは洗脳システムの構築かと・・。
>さぞかし、喜んでいる方もいるのでは?
だれ?
そうですか。(笑)
多くの人が多少なりとも前から抱いていた
疑問ですからね
こーなると、次は
「なんで、成就者ほどの真理を体現した人
がオウムを脱退(批判)するの?」とか
「セックスより気持ちい状態を常時体現できる
成就者がセックスなんてするの?」とか
今まで誤魔化されて来た素朴な疑問に対する
回答も出そうですな
回答も出そうですな
当然出てくるでしょうね。
しかし、トップが解脱していないのだから、
弟子が解脱しているわけがないという結論で、
全て解決がつきそうな気もします・・。
カールリンポチェは教祖のいくつもある前世の、ひとつの
生でグルであったということでしたが
いっしょにいた人らは、彼が教祖を前世の弟子だったと
発言したのをみましたか??
よく、適当なことを書くらしいので、、チャンスがあったらぜひ上勇に聞いていただきたいでつ。
また、どなたか、カールリンポチェをローマ字で書くと
どんなつづりか、知っておられますでしょうか?
>いっしょにいた人らは、彼が教祖を前世の弟子だったと
>発言したのをみましたか??
どうなんでしょうね?
どなたか知っている方がいたら、コメントお願いします。