白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

映画「es」

2007-04-28 02:09:14 | Weblog

本日は映画の紹介です。

 

 かつて教団で作成したビデオの中に、1971年に行なわれたスタンフォード大学の監獄実験について述べている箇所があった。たしか、人間は与えられた環境において、それぞれの役割を演じているのだということを説明するために、引用したものであったと思われる。

 

 その時には、単に興味深い実験だと思って観ていたのだが、たまたま、今日「GyaO」の映画の中に、スタンフォード大学の監獄実験を映画化した、「es」(エス)という映画が紹介されているのを見つけたので早速観てみた。映画を観ていくにしたがい、人間が環境によって、自らを洗脳していく様をまざまざと見せつけられた。

 

 スタンフォードでの実際の実験では、新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせたところ、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明された。

 

 映画の中では、看守の行動がエスカレートし、暴力に歯止めがかからず、ついには殺人にまで至ってしまう。もちろん、実際の実験では、殺人までは至っていない、しかし、屈辱的な靴磨きやトイレットペーパーの切れ端でトイレ掃除をさせるなどを行なわせたとされている。さらにエスカレートして、禁止事項であったはずの、暴力にまで至ったと記録に残されている。

 

 閉鎖的な空間での、絶対的な権力を持つものと、服従を余儀なくされる者の心理がみごとに浮き彫りにされていると思われる。そして、互いが知らぬ間に、その役割の中に自己を没入させていく恐ろしさを感じた。まさに「状況の力が人格を支配する」という言葉通りであった。与えられた役割を演じるだけの人間が、いかに愚かしくなっていくかを見せつけられたような気がする。

 

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、

 

「権力への服従 」
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうのである。

 

「非個人化 」
しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。


というような実験結果が得られたとなっている。

 

 この実験結果を読むと、オウム・アーレフの教団について語られているような気がしてしまう・・。私は、かつて、上九の治療省のトイレも無い小部屋に、鍵をかけられ閉じ込められた時の恐怖とみじめさを思い出させられた。暴力こそ振るわれなかったが、監禁の挙句に、ナルコで記憶を一部失った・・。

 

 もうすでに、ご覧になった方もいらっしゃるでしょうが、まだ、ご覧になったことがない方は、GyaOに登録すると無料でご覧になれますので、ぜひ一度ご覧になると良いでしょう。なお、この作品がドイツで作られたという点も、大変興味深いところであります。

 

「GyaO 映画」(ここのランキング2位に「es」はあります。)
http://www.gyao.jp/cinema/


参考資料
「スタンフォード監獄実験」 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93

「情況の囚人 ― 1971年”スタンフォード監獄実験”とは」
http://x51.org/x/06/04/2439.php