曲阜路駅の駅ビルのすぐ北側から東へ歩きます。
この地区は共同租界に含まれていたので、恐らく上海事変での破壊を免れたと思いますが、石庫門風の集合住宅が残っています。
こちらは空き家で、取り壊すのを待つだけの住宅のようです。
撤去間近で最後の春節となるのでしょうか、魚屋の店先には上海恒例の干魚が吊るされています。
まだ、上海人の古い習慣が残り、毎日の営みが送られているのですね。
清明時代の開封の都の繁栄には及びませんが、小さな商店が並んでいます。
中国でも有名な都市の名前を持つ通りは、租界時代はきっと繁栄していたのでしょうね。
南側の建物は全て撤去され空き地で、日当たりがよくなっています。
甘粛路に突き当たり開封路は終わります。
更に東へ歩くと、七浦路の服飾街になります。
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この地区は共同租界に含まれていたので、恐らく上海事変での破壊を免れたと思いますが、石庫門風の集合住宅が残っています。
こちらは空き家で、取り壊すのを待つだけの住宅のようです。
撤去間近で最後の春節となるのでしょうか、魚屋の店先には上海恒例の干魚が吊るされています。
まだ、上海人の古い習慣が残り、毎日の営みが送られているのですね。
清明時代の開封の都の繁栄には及びませんが、小さな商店が並んでいます。
中国でも有名な都市の名前を持つ通りは、租界時代はきっと繁栄していたのでしょうね。
南側の建物は全て撤去され空き地で、日当たりがよくなっています。
甘粛路に突き当たり開封路は終わります。
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