プリンシプルがあるということは、日本語でいう「筋を通す」に近い。白州次郎が、
「日本一かっこいい男」と言われる所以は、生涯筋を通し続けたからであろう
葬式無用 戒名不用」という簡単な遺言を残し、
何の未練ももたず風のように消えていった。
むしろ、半分の人には嫌われるように
積極的に努力しないと
良い仕事は出来ない。
一番足りないのは勇気だ。
「そういう事を言ったら損する」
って事ばかり考えている。
白洲次郎の名言 一覧
臭い物は蓋をしないで、いつか始末しなけりやならないんだから、外へ出したらいいんだ。
このごろのマスコミの論調をそのまま世論だとお思いめさるな。国民はそんなに軽率でもないし一方的でもありません。
どうしたらよくなるか、それを工夫してゆくよりしょうがないじゃないか。よくなるとかならんというよりも、よくするほかに途(みち)がないことを認識すべきだ。
熱意だよ。日本でも明治維新の時の政治家とか実業家は、熱意があったからあれだけの仕事が出来たんだね。
僕は政治家じゃないし、人に何言われても一向に平気なんだ。僕はそういう所、わりに旧式なのよ。自分の良心はきれいだと思ってるから、人が何言おうと平気なんだ。
現代をあんまり早く掴み過ぎた奴は、いつでも不幸になっちゃうんだ。ちょっとばかり早く掴んだ奴が、非常な成功児になるんだ。
目前の安易主義は、将来の禍いのもと。
魂を揺さぶられる5つの名言
というわけで、聞けば聞くほど「そこに痺れる!憧れるゥ!」な白洲語録の一部をどうぞ。
原文が英語のものもありますが、ここでは全部日本語でいきますね。
・「我々は戦争に負けたが、奴隷になったのではない」
もっとも有名な名言かもしれません。
GHQとの交渉中、マッカーサーへ言ったとされるものです。
当時人種差別が合法だった欧米の価値観からすると、有色人種の時点で人間扱いしないのが当たり前でしたし、敗者となればさらにそうだったでしょう。
それに対し「ふざけるな」と抵抗を示したこの言葉がなかったら、日本はもっと無茶苦茶言われていたかもしれません。
・「この憲法は占領軍によって強制されたものであると明示すべきであった」
日本国憲法に関する発言です。
現在はこういう見方をする人も少し増えてきていますが、当時ほとんどの人はこうは思わなかったでしょうね。
直接交渉に当たったからこそ余計”押し付け”と感じたのでしょう。
・「私は“戦後”というものは一寸やそっとで消失するものだとは思わない」
「我々が現在声高らかに唱えている新憲法もデモクラシーも、我々のほんとの自分のものになっているとは思わない。
それが本当に心の底から自分のものになった時において、はじめて“戦後”は終わったと自己満足してもよかろう」
時期がハッキリしない発言です。
1950年代に「もはや戦後ではない」といわれていたことに対する皮肉でしょうか。
・「お嬢さんを頂きます」
結婚を申し込むため、夫人の正子さんの家へ行った際の発言とされています。
普通「ください」とお願いに行くところを、「頂きます」とまるで確定事項のように言ったというのがまた皮肉というかなんというか。
実にカッコイイ台詞ですので、プロポーズをご検討中の方は真似してみてはいかがでしょう。
緊張してるとカッコつかないかもしれませんが。
・「一緒にいないことだよ」
一つ前の発言と矛盾するようですが、面白いので載せておきましょう。
こちらは晩年、夫婦円満の秘訣を聞かれた際の回答だそうです。
友人でも夫婦でも“一緒にいすぎてダメになる”というケースは昔からあったんですねえ。
火葬場で読経のパターンも 今どきの“自分流”葬儀とは?
http://fancylady2012.tumblr.com/post/182369922555
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