羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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平成25年・2013年5月場所前(真石博之)

2013年04月30日 | 相撲評論、真石博之
5月場所の資料をお送りいたします

○大阪場所は7日目から千秋楽までと初日の計10日間が満員御礼でした。9日目のテレビ中継で、「満員御礼」の垂れ幕が降りるのを見た北の富士が失笑し、アナウンサーが「3割ほど空いてますが・・・・」と口を滑らせるほど大甘な満員御礼。生真面目な時津風事業部長(豊山)が「まだ2枚売れ残っている」といって満員御礼にしなかったのとは大違いではありますが、客の入りは確かに良く、閑古鳥が鳴く九州場所とは月とすっぽん。場所に先立つ10日間、梅田地下街で大相撲展を開き、「大相撲×吉本W観賞券」を発行し、自らも場所中15日間欠かさず和服姿で1時から2時まで客を迎えるなど、大阪場所担当理事の貴乃花の努力は評価すべきでしょう。ただ、この客の入りに応えるだけの相撲内容であったかどうか。



○場所前、大関のいる部屋などに積極的に出稽古した初場所全勝優勝の日馬富士でしたが、前半戦で配給した金星が3つ。高安の捨て身の突き落としにあっさりと落ち、これしかない千代大龍のかち上げからの引きに手をつき、豊ノ島の一気の前進に土俵下まで落されました。終盤では、鶴竜に一方的に寄り切られ、稀勢の里には胸をひと押しされて空中で一回転の屈辱。白鵬戦では47秒の熱戦を展開したものの、最後は力負けで、結局、9勝6敗。1月場所前には133kgあった体重が、2月8日の健康診断時に、またまた129kgに落ちたのは、全勝優勝の疲れのせいなのか、煙草のせいなのか。相撲の型を持たない軽量横綱は、ひとつ狂うと立て直しが難しく、今後も険しい道が続くことでしょう。それと、「左足首の古傷が痛んでなかなか踏ん張れなかった」といった弱音も口にしない方がいいでしょう。今場所は134kgです。



○横綱・日馬富士の不振に加えて、大関陣の不甲斐なさに輪がかかってしまった大阪場所でした。琴欧洲は1勝5敗となったところで休場。中日までに、稀勢の里は抜け抜け(白星と黒星が交互)の4敗、鶴竜は3敗、琴奨菊は2敗と、揃って前半戦で優勝戦線から離脱。終ってみれば、10勝したのは稀勢の里一人で、鶴竜と琴奨菊は2場所連続しての8勝7敗に終わりました。



○こうした中で優勝戦線に12日目まで絡んだのは、上位とは当らない7枚目の隠岐の海でした。注目が集まったせいで、これほどハッキリ「稽古嫌い」と書かれた力士も珍しいでしょう。10日目に給金を直した翌日の朝日新聞で、師匠の師匠である北の富士は「あいつの稽古嫌いは筋金入り、八っちゃん(八角親方・北勝海)の1/3の稽古をすれば横綱」、師匠の八角は「三役になりたきゃ稽古しろ」と話しています。

確かに、以前から「大器ながら稽古嫌い」と言われてはいましたが、ここまで書かれると気の毒な気もします。稽古嫌いでも大関までいった力士もいたわけで・・・・。5月場所は晴れて三役です。



○こうした展開では、当然のように白鵬の独走となりました。中に入られて危なかった初日の安美錦戦について、師匠の宮城野は「先場所のような腰だったら負けていた。今場所は腰がギュッと締まって、ひとまわり大きくなった。ぶつかり稽古をしっかりやった証拠です」と雑誌“大相撲”で語っています。本人も「場所前の稽古の成果」を口にしています。終盤での発熱に触れないあたりも流石です。年間86勝4敗だった平成21年と22年当時の飛ぶ鳥を落とす勢いは影をひそめたものの、円熟した強さを見せました。

「年2場所時代」に双葉山が達成した8回の全勝優勝の回数を抜いたと騒ぎ立てるのには的外れですが、同じ年6場所の北の湖の優勝回数に並んだのは事実です。そして、関取の業績の累積をもっとも端的にあらわす「持ち給金」で、北の湖を抜いて史上3位になりました。  (別紙『持ち給金ランキング』の脚注)

なお、「持ち給金」が、大鵬は1489円50銭、北の湖は1207円とされていますが、これは計算違いで、正しくは大鵬は1491円、北の湖は1216円です。

○三賞選考委員会は、技能賞は該当者なし、日馬富士を降した豊ノ島を殊勲賞候補、優勝にからんだ隠岐の海を敢闘賞候補とし、両者とも千秋楽に勝つことを条件としました。隠岐の海が格上の妙義龍に勝ったからいいようなものの、負けていれば、三賞制度ができて27年目にして初めて、「三賞該当なし」になるところでした。したり顔で三賞を出し渋っては相撲人気に水を差す選考委員会には困ったものです。豊ノ島が負けた場合には、4大関を総なめにした栃煌山を殊勲賞にするくらいの代案を考えて欲しいものです。



○九重部屋の若い力の台頭です。途中休場になったものの金星をあげた24歳の千代大龍、幕内に踏みとどまった22歳の千代の国に続いて、新入幕を果した千代鳳は20歳で関取最年少。再十両の千代嵐と新十両の千代皇はともに21歳で、千代鳳とともに「最年少関取トリオ」です。5人の関取全員が24歳以下とは、異例中の異例です。ただ、この部屋には、なぜか怪我が多いのが気がかりです。(別紙『年齢順一覧』



○木瀬部屋からも関取が次々と誕生しています。夏場所での関取数は、新十両の希善龍を加えて6人。グルジア出身の臥牙丸を除いては、親方(肥後ノ海)と同じ大学相撲出身なのが、この部屋の特徴です。もう一つの特徴は、四股名にまるでセンスがないことです。常幸龍、徳勝龍、徳真鵬、希善龍。



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おん

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を聞いても字がまるで浮かんでこない無粋な四股名、しかも陳腐な龍と鵬のオンパレードです。(別紙『部屋別勢力分布』)



○伊勢ケ濱部屋(旭富士)が間垣部屋(二代若乃花)を吸収しました。経営難と間垣の健康が優れないのが原因とか。間垣は二所ノ関一門から出た貴乃花組、伊勢ケ濱は立浪部屋出身の伊勢ケ濱一門。一門が異なるこの合併は、お互い津軽出身の縁とか。一門をなした立浪部屋が貴乃花組に移ったり、時津風一門の式秀部屋を出羽海一門の北桜が継承したり、昔は綱のように太かった一門の縁は糸のように細くなりました。



○他方、現役引退から10年目の武蔵丸が藤島部屋から独立して武蔵川部屋を再興しました。これによって、出羽海一門は13部屋になり、44部屋の3割を占めます。かつて出羽海は「分家御法度」で、長い間、出羽海・春日野・三保ケ関の一門3部屋時代が続きましたが、今や隔世の感です。部屋の独立は平成18年の尾上部屋(濱ノ嶋)以来7年ぶりのことですが、これは、部屋新設の条件が「幕内1場所以上」から「横綱大関経験者以外は幕内60場所か三役25場所以上」へと厳しくなったからです。(別紙『部屋系列略図』)



○「力士の体重の増えすぎが相撲をつまらなくしている」との自説を繰り返すのは控えるとして、最近の数字だけを報告します。幕内の平均体重は昨年秋場所前に初めて160kgの大台を越えて161.3kgを記録。今年初場所前では162.4kg、そして、今5月場所前は161.5kgと高どまりしています。

ちなみに、栃若時代の昭和35年初場所の幕内平均体重は、今より50kg近く軽い115kg。幕内最重量は松登で、今の平均体重より10kg以上軽い150kgでした。



○大相撲界を揺るがせた一昨年の八百長問題。多くの関取が協会からの引退勧告を受け入れた中で、蒼国来と星風は勧告を拒否し、解雇されました。二人は解雇無効の訴えを起こし、星風は一審、二審とも敗訴でしたが、蒼国来への東京地裁の判決は「解雇無効」。現理事で危機管理委員会委員長の宗像紀夫氏(元東京地検特捜部長)は「こんな薄い証拠で処分していいのかという内容だった」と語り、解雇した当時の村山弘義元副理事長(元東京高検検事長)らから事情聴取をする方向とか。相撲協会は控訴しないことを直ちに決定し、北の湖理事長が蒼国来に陳謝。昨日の横審総見では白鵬が蒼国来に胸を出して歓迎していました。幕内に復帰して土俵に立つ名古屋場所までに、蒼国来の体力が回復することを願っています。

                 平成25年4月28日   真石 博之