羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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大岩戸(庄内日報)

2013年04月07日 | 公表原稿(羽黒蛇、読者)
わが愛する新入幕大岩戸




今年(平成25年)の3月場所で新入幕を果たした大岩戸は5勝10敗の成績で、十両から再出発をすることになった。新入幕の力士にとって幕内の壁は厚く、平成の大横綱といわれる貴乃花は4勝 11敗、直近では初土俵から9場所で入幕という最速記録(幕下付け出しを除く)を作った常幸龍も6勝9敗の成績で十両に落ちたことからしても、大岩戸の1場所での十両陥落もさして悲観することではない。

ところで3月場所の新番付発表の翌2月26日の新聞は、31歳9カ月の新入幕大岩戸を「30代に春来る」「遅咲きの春」と報じた。事実、大岩戸の新入幕は戦後8位の高齢昇進であり、新十両から所要46場所の入幕は戦後2位タイのスロウ出世であった。

このように大岩戸の幕内昇進の記録が特記されるほど遅れた主な理由の一つは彼の相次ぐ疾病と怪我もあったが、更には得意とする押し相撲に際立った威力が出るのに相当な日時を要したためでもあった。






平成15年全日本学生選手権個人戦を制覇した上林(実家の姓。後述するように平成23年9月場所に改名するまでのシコ名)は、翌16年3月場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵を踏み、翌17年5月場所に十両に昇進した。平成18年の年賀状の添え書きに「今年は幕内を狙います」と張り切っていたのに、十両5場所目の18年1月場所は左足蜂窩織炎のため4勝11敗と大敗し幕下に陥落した。更には19年9月場所(東幕下13枚目)で左頭部に帯状疱疹が発生し高熱のため途中休場(1勝1敗4休)となり、11月場所の番付は幕下34枚目という入門以来の最下位で彼にとって最も苦難の時であった。この場所11日目に4勝し勝ち越しを決めた日に「やっと勝ち越しました」という彼のほっとした電話の声を聞いた。その後平成20年、21年と幕下の中・上位に低迷していたが、22年5月場所に3年半振りに3回目の十両復帰を果たした。しかし2場所で幕下に陥落してしまった。

平成23年2月初めに八百長問題が発覚して3月の大阪場所は興行中止となったが、上林は3月11日(東日本大震災の日)に左肘軟骨除去の手術をした。彼は24年9月場所(東十両6枚目)後に右肘で同じ手術を受けたが、手術前の本場所では土俵上で力水をつける軽い柄杓を持てないほどの痛みであったと言っていた。このように重症を抱える身体でありながら力士たちは土俵上で激しくぶっつかり合うわけである。






上林が十両に初昇進した平成17年頃、28代木村庄之助こと後藤悟さんと私の3人で会食の機会を持ったが、「人間としての上林は立派な男だ。しかし押し相撲の力士である彼が十両に定着し幕の内を望むには立ち合いに相手を土俵の外に一っ気に持って行く馬力が欲しい」というのが後藤さんの上林評であり私も同感であった。上林が番付を上げることが出来なかったのは病気や怪我もあったが、彼が身上とする押しに今一つ威力がなかったからでもあった。

平成23年5月場所、上林は西幕下2枚目で4勝3敗と一点の勝ち越しであったが、八百長疑惑で25人が解雇されたため7月場所には西十両8枚目と番付は大幅に上がった。ところが場所が始まるや左足の傷から黴菌が入り蜂窩織炎を発症して、高熱に苦しみながら土俵に上がる状態で3勝12敗の惨敗の成績に終りまたもや幕下に舞い戻った。

しかしこの病気療養後に体重も140キロ台に増え押しの威力も増してきた。心機一転、シコ名を大岩戸と改名(名付け親は九州で書道の先生をしておられる山岸蒼龍氏)した9月場所(西幕下筆頭)で5勝2敗の成績で5回目の十両復帰であった。この場所以来、平成25年1月場所で9勝6敗の成績を上げて入幕を果たすまで、新生大岩戸の見事な押し相撲が何番かあった。私はその中のベスト3番として平成24年3月場所の千代大龍(今場所横綱日馬富士を破った)同年7月場所の常幸龍、25年1月場所の旭秀鵬を挙げたが、大岩戸もこの3番は「(自分にとっても)快心の相撲であった」と言っていた。大岩戸の押し相撲に敗れたこの3力士は将来の角界を背負うことを期待されている力士達である。

今場所(3月)5日目のNHKTV相撲解説で大岩戸の師匠八角親方(元横綱北勝海)は「大岩戸はこれ迄おっかなびっくり相撲を取っていたが、最近は押しに威力が出できた。入幕出来たのもそのためだ。また良く稽古をする、出稽古(他の部屋に稽古にゆく)にも積極的だ」と、弟子には辛口批評の親方が珍しく弟子のことを褒めていた。

大岩戸は、後藤悟さんが言っておられたように社会人としても通用する立派な人物で指導力もある。平成22年7月6日、「28代木村庄之助を偲ぶ会」が東京第一ホテル鶴岡で開催されたとき、私が大岩戸の父上の上林哲弥さんに「上林君のような人材を日本相撲協会に残したいものだ」と言ったところ、側にいた水野尚文(元グラフNHK大相撲特集編集長)さんは、すかさず「相撲協会に残るには番付を上げることが大事だ」と付言した。

相撲界は力の社会であり、引退して協会の役職についても現役時代の番付がものをいう社会である。しかし相撲界の相次ぐ不祥事や協会の新公益財団法人への迷走ぶりをみても分かるように、いかにも人材不足である。大岩戸に1場所でも早く幕内に返り咲き、ますます押し相撲に磨きをかけて長く現役で活躍することを期待したいものである。  尾形昌夫