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「真説親馬鹿の記」・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-07-08 | 産経抄(コラム)
「最後の文士」といわれた尾崎一雄が早稲田大学を卒業したとき、母親に報告しても信じてもらえなかった。あんな怠けぶりでは無理にきまっている、と思い込んでいたらしい。 ▼「せっかくのお話ですが、あの子にその資格があるかどうかわかりませんので…」。あるとき母親が訪問客に向かって話しているのを、尾崎は小耳にはさむ。亡父の知人が、せっかく中学の教師の口を紹介してくれたのに、卒業してないことを理由に断っていた。 ▼時代が違えば親も変わるのか。わいろを使って、わが子を小学校の教員に仕立てようとするなんて。大分県の小学校教員採用試験をめぐって5人が逮捕された汚職事件には、あいた口がふさがらぬ。佐伯市立小学校の校長や教頭が、長男や長女の採用に便宜を図ってもらうために、県の教育委員会の幹部に、数百万円の現金や金券を贈っていた。 ▼こんな人たちから、教え導かれてきた子供たちこそ、いい迷惑だ。親と同じように教壇に立てたのは、汚れた金のおかげだった。そのことを知った若い教員は、さぞ肩身が狭いことだろう。 ▼尾崎は「真説親馬鹿の記」というエッセーのなかで、長女への溺愛(できあい)ぶりをつづっている。長女は、同じ年ごろで偶然名前も同じだった作家仲間の尾崎士郎の長女とともに、早稲田大学に入学した。父親と同じように文学の道に進み、そろって同人雑誌などを出すようになったらどうしよう。 ▼尾崎の想像はどんどん広がっていき、エッセーはこう結ばれる。「こりゃ親馬鹿の種は、当分尽きそうもないぞと、苦笑されるのだった」。親馬鹿は、これくらいがちょうどいい。わが子かわいさのあまり、馬鹿なことをしでかせば、結局は子供たちを不幸にするだけではないか。

産経抄 産経新聞 7/8

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