吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

韓国旅の風景 七十六

2006年06月22日 16時11分10秒 | Weblog
韓国旅の風景 七十六                             

 韓国の食べ物 その一
 朝食のメニユーはそれぞれことなっているが私の場合、韓国旅をする都度朝の食事はいつも変わらない。南大門市場の入り組んだ路地奥にある韓国人専用食堂で朝食をとる習慣だ。食堂の主人の韓順花アジェモニーの味噌汁の旨さは前にも紹介したが、まずは手製の味噌が美味しいしだしは日本で言ういりこのやや大きいのと、鰹節の荒削りをふんだんに使う。それだけでぷーんとおふくろの昔を思い出さる香りが漂う。
 韓国の食事を色で分けると、赤…唐辛子。緑…野菜、ホウレン草、チシャ、黄…カボチャ、白…トラジ佃煮、白豆、黒…海苔。のほか、小魚のつくだに、キムチの赤、大根なますの白、生人参のぶつきりの赤、唐辛子の佃煮風、ざっとこれだけが私のテーブルに並ぶ。種類は多いがキムチと沢庵と味噌汁はお代わりするがほかは小皿に盛りきりだから量的にはたいしたことはない。
 ほかのテーブルもおなじだから、市場の兄さん逹もしきりにスプーンと匙の音をカチャカチャさせながら食べている。
 韓さんの田舎は江原道の漁村だからやはり料理の皿数が多いのである。
 韓国の朝食の豊富さは私の知る限り世界でもトップではないか…パンを主にしコーヒーと卵とチーズ、野菜、じゃがいもサラダくらいで量こそ多いが欧米の食事はどうも寂しい感じがする。      
 日本ではどんな家庭でも和食の場合、味噌汁と漬物と海苔以外では前日の煮物や、焼き魚に卵焼き、梅干しに佃煮がすこし、これだけで贅沢なくらいである。
 ひと昔の朝食は、戦時中もあって味噌汁とつけものと梅干し、佃煮などは弁当用だしそれでも御飯をたらふくたべられるだけで幸せだった。
 儒教の孝からか、年配者への尊敬からか、韓国人の食事の基本は薬食同源の考え方からする料理が多い。                  
 したがって韓国の食事は味もさる事ながら栄養のバランスは抜群である。
 李朝の昔から韓国では食事用のテーブルに料理皿をはこんでくることをしない、すべて炊事場でお膳にご馳走をならべ、お膳ごと食事場所に運んでくる。
 韓国人のご馳走の表現は…お膳の足がまがるほど…とユーモアあふれる言い方をする。

韓国旅の風景 七十五

2006年06月22日 05時27分13秒 | Weblog
韓国旅の風景 七十五                             

 民間防衛 その二                                この二十八年の間に南北の緊張はたしかに和らいだ。特に朴大統領から金大中大統領の太陽政策に韓国の北にたいする政策転換によって飢餓の北朝鮮にたいする米支援をはじめ、その頃では想像もできなかった三十八度線をこえての支援物資の輸送など、全韓国民はこれを熱狂的に歓迎した。もとは血のつながった兄弟でありそれは当然の事と思う。いろいろと変化はあったが今も南北の交流は続いている。
 さて二十八年前、金浦空港からソウルへの国道沿いの山々に三星(サムソン)や現代 (ヒュンデ)の大看板が国道を見下ろして目立っていた。
 同乗のもと文化財委員のA氏は、
「あの看板の裏側には高射砲陣地があっていざ鎌倉の時、火をふくことになってるヨ」と説明した。
 とくにいざ鎌倉を知っているには驚いた。
 釜山のテレビで日本の時代劇フアンなのでいつも見ていたと言う。
 高速の車のふむタイヤの音が変わった。
「ここは戦闘機が離着陸するように直線で三キロ、厚さ三十センチのコンクリート製だか ら車輪の衝撃に耐えられるようにできてるヨ」とさらに驚きの事実を告げた。
 一九七八年頃だから空港の周囲も塹壕と遮蔽された枯れ草迷彩模様のテントが多く、この国の軍事緊張のいったんを知った。
「でも平和になって南北が統一されて一番こまるのは日本ヨ!北の工業力と南の農業生産 技術力がひとつになったら日本は追い越されて困るヨ!」
 A氏はけろっとした顔で言った。