韓国旅の風景 四十一
地図を作って獄死
十九世紀のはじめ、幕命で蝦夷地をはじめ、全国の沿岸測量を実施して、『大日本沿海奥地全図』を完成した江戸後期の測量家で地理学者の伊能忠敬を知らぬ人はおるまい。
一方、朝鮮の李朝政府の高宗時代(一八六四~一九〇七)に朝鮮黄海道(韓国京畿道の北部…現在の北朝鮮人民共和国)出身の金正浩(キムジョンホ)は独学で測量技術を習得して朝鮮全土の地図製作に三十年間も従事してついに『青丘図』…朝鮮図を完成、そののちより正確な『大東興地図』テドンヨジドも作成、独力でそれを出版刊行した。
その頃は日本と清国との間の日清戦争、その十年後の日露戦争、高宗の妻、閔妃の日本官憲による殺害事件など内外ともに緊迫した情勢だった。その為か、金正浩は王命によって捕らえられ獄死する悲運にあって地図の各版は没収されてしまった。
緊迫した情勢にあって朝鮮全土の地図は日本をはじめ虎視眈々と東洋に良港を求めて日本の勢力を阻止せんとロシアを控え、機密の漏洩につながる恐れありと国の神経が過敏になっていたのだろう。
東洋の優れた二人の地理学者の一人は幕府に評価され、文化の発展に寄与したのに反して李氏朝鮮王朝は一人の天才地理学者を抹殺した。
江戸幕府の為政者は思想的に儒学の影響はさほど受けていないにたいし、李王朝は徹底した朱子学を背景に、両班の士禍闘争にあけくれ、自国を国際的視野にたってみつめる余裕がなかったと言える。
一八六六年にフランス軍による江華島への攻撃をはじめ、ヨーロッパの攻勢に対して、日本は形勢不利と見ていち早く、ヨーロッパ文明の採択に走り、一方朝鮮は相変わらぬ両班貴族の勢力争いに終始してヨーロッパ文明の招来が立ち遅れた。
これは朝鮮近代化における大きなマイナスであろう。
このことはのちに日本が朝鮮を併合する運命を内含していたとも言える。
地図を作って獄死
十九世紀のはじめ、幕命で蝦夷地をはじめ、全国の沿岸測量を実施して、『大日本沿海奥地全図』を完成した江戸後期の測量家で地理学者の伊能忠敬を知らぬ人はおるまい。
一方、朝鮮の李朝政府の高宗時代(一八六四~一九〇七)に朝鮮黄海道(韓国京畿道の北部…現在の北朝鮮人民共和国)出身の金正浩(キムジョンホ)は独学で測量技術を習得して朝鮮全土の地図製作に三十年間も従事してついに『青丘図』…朝鮮図を完成、そののちより正確な『大東興地図』テドンヨジドも作成、独力でそれを出版刊行した。
その頃は日本と清国との間の日清戦争、その十年後の日露戦争、高宗の妻、閔妃の日本官憲による殺害事件など内外ともに緊迫した情勢だった。その為か、金正浩は王命によって捕らえられ獄死する悲運にあって地図の各版は没収されてしまった。
緊迫した情勢にあって朝鮮全土の地図は日本をはじめ虎視眈々と東洋に良港を求めて日本の勢力を阻止せんとロシアを控え、機密の漏洩につながる恐れありと国の神経が過敏になっていたのだろう。
東洋の優れた二人の地理学者の一人は幕府に評価され、文化の発展に寄与したのに反して李氏朝鮮王朝は一人の天才地理学者を抹殺した。
江戸幕府の為政者は思想的に儒学の影響はさほど受けていないにたいし、李王朝は徹底した朱子学を背景に、両班の士禍闘争にあけくれ、自国を国際的視野にたってみつめる余裕がなかったと言える。
一八六六年にフランス軍による江華島への攻撃をはじめ、ヨーロッパの攻勢に対して、日本は形勢不利と見ていち早く、ヨーロッパ文明の採択に走り、一方朝鮮は相変わらぬ両班貴族の勢力争いに終始してヨーロッパ文明の招来が立ち遅れた。
これは朝鮮近代化における大きなマイナスであろう。
このことはのちに日本が朝鮮を併合する運命を内含していたとも言える。