韓国旅の風景 六十八
韓国の剽軽風景 その一
一番最初に剽軽人物に出会ったのは文化財委員を大統領の交替で江原道の春川市の文化財委員に左遷され、それを断って野にくだったA氏だった。本人の話だがもとはれっきとした慶州密陽(ミルヤン)の両班だったが、李朝末期に碁気狂の曾祖父が賭碁に破れて田畑を失って文無の赤貧暮らしにおちたそうである。
朝鮮動乱の時、釜山日報の従軍記者として第一線の取材中、連隊長だった朴大統領と知己になり、大統領就任と同時に文化財委員に抜擢されたのである。
祖父の遺言で碁は堅く禁じられたが酒豪ぶりは祖先伝来のもので、日本なら斗酒も辞さない大酒飲みとされる男である。
逢った時、目尻のさがった少年のような顔で挨拶したのでいっぺんに親しみを感じた。…昔の両班先生、現代の感想は?…と訊ねると、
…今も気持ちは両班てすよ…
…両班の気持ちってどうなんだろう?…
…品がよくて事に動じないヨ…
…今もそうですか?…
…足を投げ出して飯くったから…
これは李朝時代からの諺でそうするとカナンハゲ サンダと言って貧乏暮らしをすることになる。
呑気な性分のA氏は目下、役人に知己の多い陶芸家のB氏の居候をきめこんでいる。
B氏の国展にさいして色々なアドバイスをほかの委員からもらっているのもすべてA氏のおかげである。
A氏はさすが両班のプライドからB氏に色々経済援助をしてもらっても決して卑屈にならないでいつも胸をはって微笑をたやさない。
韓国の剽軽風景 その一
一番最初に剽軽人物に出会ったのは文化財委員を大統領の交替で江原道の春川市の文化財委員に左遷され、それを断って野にくだったA氏だった。本人の話だがもとはれっきとした慶州密陽(ミルヤン)の両班だったが、李朝末期に碁気狂の曾祖父が賭碁に破れて田畑を失って文無の赤貧暮らしにおちたそうである。
朝鮮動乱の時、釜山日報の従軍記者として第一線の取材中、連隊長だった朴大統領と知己になり、大統領就任と同時に文化財委員に抜擢されたのである。
祖父の遺言で碁は堅く禁じられたが酒豪ぶりは祖先伝来のもので、日本なら斗酒も辞さない大酒飲みとされる男である。
逢った時、目尻のさがった少年のような顔で挨拶したのでいっぺんに親しみを感じた。…昔の両班先生、現代の感想は?…と訊ねると、
…今も気持ちは両班てすよ…
…両班の気持ちってどうなんだろう?…
…品がよくて事に動じないヨ…
…今もそうですか?…
…足を投げ出して飯くったから…
これは李朝時代からの諺でそうするとカナンハゲ サンダと言って貧乏暮らしをすることになる。
呑気な性分のA氏は目下、役人に知己の多い陶芸家のB氏の居候をきめこんでいる。
B氏の国展にさいして色々なアドバイスをほかの委員からもらっているのもすべてA氏のおかげである。
A氏はさすが両班のプライドからB氏に色々経済援助をしてもらっても決して卑屈にならないでいつも胸をはって微笑をたやさない。