吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

韓国旅の風景 六十八

2006年06月18日 08時06分50秒 | Weblog
韓国旅の風景 六十八

 韓国の剽軽風景 その一
 一番最初に剽軽人物に出会ったのは文化財委員を大統領の交替で江原道の春川市の文化財委員に左遷され、それを断って野にくだったA氏だった。本人の話だがもとはれっきとした慶州密陽(ミルヤン)の両班だったが、李朝末期に碁気狂の曾祖父が賭碁に破れて田畑を失って文無の赤貧暮らしにおちたそうである。
 朝鮮動乱の時、釜山日報の従軍記者として第一線の取材中、連隊長だった朴大統領と知己になり、大統領就任と同時に文化財委員に抜擢されたのである。
 祖父の遺言で碁は堅く禁じられたが酒豪ぶりは祖先伝来のもので、日本なら斗酒も辞さない大酒飲みとされる男である。
 逢った時、目尻のさがった少年のような顔で挨拶したのでいっぺんに親しみを感じた。…昔の両班先生、現代の感想は?…と訊ねると、
…今も気持ちは両班てすよ…
…両班の気持ちってどうなんだろう?…
…品がよくて事に動じないヨ…
…今もそうですか?…
…足を投げ出して飯くったから…
 これは李朝時代からの諺でそうするとカナンハゲ サンダと言って貧乏暮らしをすることになる。
 呑気な性分のA氏は目下、役人に知己の多い陶芸家のB氏の居候をきめこんでいる。
 B氏の国展にさいして色々なアドバイスをほかの委員からもらっているのもすべてA氏のおかげである。
 A氏はさすが両班のプライドからB氏に色々経済援助をしてもらっても決して卑屈にならないでいつも胸をはって微笑をたやさない。

韓国旅の風景 六十七

2006年06月18日 05時32分12秒 | Weblog
韓国旅の風景 六十七

 韓国の剽軽風景 その一
 コメディ好きな方は一度、暇をつくって南大門か東大門市場の雑踏売り場に出かけて見ると面白い。 
 そこでは特別仕立てのリヤカーに衣料品を山積みして一日中しやべりまくるので声もしわがれ…さぁさぁ!またとない出物ダヨ!流行の最先端を行くビットン(?)メーカーの特製品ダヨ…ここしかない代物ダヨ!さぁイーチョノン、イーチョノン(二千ウオン)!おやおやみたこともない別嬪様!ええいっ!六枚でマンチョノン、マンチョノンダ!…とまくし立てる。むらがる女逹はアニキの掛け声においたくられてあれこれ取って模様をみてはまとめて四、五枚も求める。
 山積みの真ん中に体を半分うずめてしやべりまくっているその表情は下手なテレビのコメデアン顔負けで、もう生まれた時から笑っていた見たいな顔をしている。
 なかには十枚も鷲掴みにしてまぁいい男!娘の旦那にしたいくらいヨ、これマンオチョノン(一万五千ウオン)ヨ…カーッ!(意味不明だが喉から絞りだすような声)これはこれはカンジュ(広州市…ソウルの南三十キロの道庁所在地…美人が多い)の昔のミスアジェモニー!いいよいいよこうして泣くよ!…あぁ五千ウオンも値引きかいな!と大袈裟に腕を額につける。
 延々と続く演技はそのままテレビにだしたいくらいだ。
 市場のかしこにあるテント張りの、ピンデトク(お好み焼き)屋もソウル一だヨ!焼きたてダヨ!と肥り気味だがはっとする美人の若いアジェモニーが凄い色目を使うのでふらふらっとなって椅子に座り込む。
 ビンデトクは日本でもお馴染みのシジミで昔は貧しい人々の食べ物だった。ビンデトクとは蚤のことでそれがいるほどの貧しい暮らしを意味していた。
 これは真露のつまみに最適である。