吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

韓国旅の風景 六十六

2006年06月17日 11時45分42秒 | Weblog
韓国旅の風景 六十六

 韓国の仏法の浸透
 日本に百濟から仏像や経典が伝来した当時、三国のなかでいまだ仏法を拒んだのは新羅の国だった。                                   高句麗は紀元三七二、百濟は三八四年に中国から仏法が伝わっている。新羅はこれに遅れること百五十年ほど、五二七年に招来されたから、日本に百濟から伝来したのとほぼ同じ時期になる。
 新羅はほかの二国に比して、土着の巫女、原始シャーマニズム信仰が定着していて新たな宗教の招来を拒否したからだ。
 新羅の原始宗教は別称、ハヌニム…天神…信仰と言った。日本の場合も仏法の許容を巡って蘇我と物部の闘争があったが、新羅には、仏法を推進する異次頓(イチァドン)に反対する意見が圧倒的に多い為、王は異次頓の首を刎ねさせたところ、首から真っ白い血が吹き出たために、恐れをなした王は仏法を取り入れたと言われる。
 ここで興味があるのは、血はcin…チンで傷口からでる赤いのはピ、phiであり、それが白い液体になるとcinと言う。
 日本の幼児言葉におチンチンと言うのがある。
 なるほど大人になるとおチンチンから白い液体が出てくる…単純な発想の私はすぐそう関連ずけてしまうのは古韓国語で、cinは液の意味だからだ。
 ともあれ、韓国仏教はそれから千五百年ほどたって現在、禅宗系の曹渓宗が殆どなのはやはり五百年に渉る儒教体制の李王朝の影響と思う。