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初夏の朝日連峰 & 果樹園 ※寒河江市・柴橋

幸生(永松)銅山

2008-10-25 | Weblog

寒河江市幸生(さちゅう)に残る無病息災の願いをこめた伝統の祭り


先日、今は廃坑となった永松・幸生銅山資料展を見てきた。

1611年(慶長16年)江戸前期に発見され、国内有数の銅の産出量を誇った永松・幸生銅山、昭和36年鉱脈の枯渇等で閉山するまでの、およそ350年の歴史資料が展示されていた。

 

 

 

最盛期には3500人もの人々が、山奥深くに出来た鉱山町に生活していた。

新しい鉱脈が発見されると鉱山町は繁栄し、枯渇すると寂れて行く、その哀歓は人生にも似ていて、人々のロマンを誘う。

地底深く、いつも生命の危険にさらされた人達は、固く結びついて助け合いながら生活を続けた。

閉山後およそ半世紀、今鉱山址を訪ねてみると深い草木の中に全てが埋もれてしまい、当時の栄華を偲ぶことは出来ない。

                                            ※一部資料より抜粋

閉山後およそ50年を過ぎ、幸生(さちゅう)は今、戸数30戸?ほどのとして、麓に残っている。

自然豊かな、静かな山峡の地にある。しかし歴史を紐解くと、そんな鉱山にまつわるたくさんの悲哀を生んだ地でもある。

幸生、・・・・・・さちゅう   辿って来た歴史とはまるで正反対の地名。

さちゅう・・・・・私はこの地名の言葉の響きがとても好きだ。


今日、両親は朝からデイサービスに出掛けた。

たまたま息子、娘、親子全員が揃った。

4人で両親の部屋の一大大掃除をすることに。

しかし、いつの間にか息子、娘は午前中だけでいなくなってしまった・・・・残りはやむなく夫婦二人だけで・・・・・・。

夕方4時半無事大掃除完了。ヨカッタ・ヨカッタ・・・・

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