ファイティングトップ

スクラッチ木造帆船製作日記と映画、スタトレなどあれこれです。

生存者の罪悪感

2005年04月29日 | 本日のあれこれ
 尼崎の事故の特番をみていたら、1両目2両目の生存者の方が、かなり罪悪感を持っておられるようなことを言っておられました。もちろん、論理的に言って罪悪感を感じるべき所は何一つありません。でも、惨事を生き残った人には、わりとよく、罪悪感を抱くケースがあるようです。同じ状況下にいた人に対する共感と、偶然以外の何の理由もない自分が助かったという事実、助かって良かったと喜びがあることとの整合が取れず、罪悪感を抱いてしまうようです。
 JRも、対応が大変だとは思うのですが、あれだけ大勢の社員もいることだし、一刻も早く、こうした人たちへのメンタルケアの対応をすべきです。早い段階からケアをしないと、鬱状態を引き起こしたりする事もあるでしょう。
 遺族のケアも当然大切ですが、奇跡的に助かった人達、特に軽症の人で、前方に乗車している人達へのメンタルなケアは、他人から働きかけないと、自発的には、そうした訴えはあまりないので特に注意してあげる必要があると思います。

 また、当然、罪悪感を抱いてしかるべきなJRの安全推進本部の人でしたっけ、よく記者会見で話している太ったほうの人、外見的にも表情的にも、罪悪感が感じられないのは私だけでしょうか。出先で遺族の対応をしている若い職員などは、毎日遺族に責められ、自分の目で見て、プレッシャーもうけているでしょうが、彼こそ、こうした事故を防ぐべき責任ある職にある割りに、罪悪感を持っているように見えません。もちろん、罪悪感をもちゃいいってわけではありませんが、次々報道される競争重視、締め付け過多の運用状況などを防いでいれば、防げたかもしれないわけで、真面目に職責を果たしていた人なら、一目見てわかるような顔をしているはずです。そうじゃないということは、彼(および社の)関心が他に向いているのではないかと感じられます。
 兵庫県警は、社の運営にも問題があったのではないかと捜査をしているようですが、是非とも、徹底的にやって頂きたいものです。亡くなった運転手の方一人に責任を押し付けるようなこことがあってはなりません。彼が故意に事故を起したのでない限りは、社の責任は非常に大きいわけですし、社の責任と言うのは、法人としてのJRではなく、その法人を運営している責任ある地位の人達の責任と言うことですから。

最新の画像もっと見る