ほぼ一カ月の間、あまりものが作れない状態が続いています。色々重なって製作の時間が取れていません。一応、作業用のデスクを作ったり、ちょこちょことは作っていますが・・・。
体調が悪いせいもあって、翻訳の方もあまり進んでいません。少し目先を変えるために、英国軍艦の武装と艤装品の作業を再開しました。ちょうど武装の項に入ったところでFubbsの方に移ったので一番、興味の対象である大砲の部分からなので、比較的楽に感じをつかむことができました。このままうまい具合に調子を取り戻したいところです。
帆船の武装と言えば先込め式の大砲ですが、後装砲が登場するまで、数百年のあいだ、特に目立った変化もない印象を持っていました。18世紀にスコットランドのカロンごいう業者が開発したカロネード砲があるくらいで、無敵艦隊と戦ったころもネルソンの時代も、見た目にそれほどの差がないからです。
しかし、流石に長い期間なので、実際には、同じように見えていてもかなりの技術革新があります。まず、最大の変化は、真鍮砲から鋳鉄砲への変化です。鉄は脆く、融点が真鍮より高いので大型の砲の鋳造が難しく、壊れやすいので、真鍮(青銅)砲が主流で、その結果、真鍮(青銅)価格が高騰したということは知識として知っていたのですが、鉄の砲が安いという以外のメリットを知りませんでした。
幕末の薩英戦争や下関の四カ国艦隊との交戦で、日本側は、旧式の青銅砲を装備していて、外国艦隊の鉄製の砲に劣っていたということも歴史では習いましたが、同じ先込め砲なのにどんな差があるのかずっと疑問でしたが、こうした疑問が氷解しました。
青銅砲は錆びにくく、鋳鉄砲に比べて、粘るので砕けにくいというメリットがあり、しかも、ダメになった砲も溶かして再利用できるのに対して、鋳鉄砲は、鋳直して利用することが難しく強度が低下するというのが18世紀までの常識だったようです。しかし、青銅と鉄の価格差が10倍以上に広がったため、17世紀中ごろから鉄製の砲が普及しだし、18世紀にはほとんどが鉄製の砲になったようです。
しかし、青銅砲が主流の時代のエリザベス朝時代の海戦は、ナポレオン戦争当時の海戦に比して、砲戦を多用しないだけでなく、交戦自体も緩慢で、比較にならないそうです。エリザベス朝時代の軍艦が、一門あたり25発しか携行していなかったのに比して、ナポレオン戦争時の軍艦は、60~70発携行しています。無敵艦隊との海戦でも、英仏海峡に達する頃には、弾切れを起こす方もあったようですが、それも、1週間に渡って、コンスタントに戦闘を繰り返した上で、ようやく弾切れを起こすほど、緩慢な戦闘だったようです。つまり一門あたり、一日に三発強しか砲撃していないわけです。
これは、戦術によるものですが、実は、こうした戦い方のおかげで、青銅砲の欠点が表面化しなかったようです。実は、青銅砲は、熱を持ちやすく、連射すると、比較的早期に強度低下をきたして砲が変形し、砲撃ができなくなるという欠点があったようです。つまり、ナポレオン戦争当時のような間隔で射撃することができないわけです。
また、製造法も、鋳造砲が広く製作されるようになった1400年代以降も着実に発達しており、エリザベス朝当時の砲(青銅も鉄も)は、個体差が大きすぎて、重量も命中精度も一門ごとにかなりの隔たりがあるだけでなく、その外形も、納入業者やロットごとにかなりの差があったようです。後には、標準図面が配布されて型が作られるようになって統一されてゆくようになります。
また、肝心の砲の砲腔部分(つまり大砲の穴の部分)も、初期は、型に木製の芯を入れて制作していたため、必ずしも中心に開いているとは限らず、砲の外形と平行でもなかったようです。これも、後に、金属の芯になり、やがて、鋳造した砲身にドリルで穴を開けるように変化します。
ドリルで開口する以前、特に木の芯で型を作っていた時代には、同じサイズの砲といえども、一門ごとに口径に差があり、従って、有効射程も命中精度も、ナポレオン戦争当時と比べると格段に差があったようです。
従って、1600年代から1700年代にオランダから輸入した青銅砲で武装した日本側は、割と早期に発射不能になったのに対して、そろそろ新鋭艦には後装式が搭載され始め、先込め式でも、鋼製の砲が使用されていたヨーロッパ諸国の軍艦の攻撃力とは雲泥の差があったようです。もっとも、そのころの日本全体が青銅砲だったわけではなく、幕府はフランスから輸入した鋼製の砲を持っていましたし、佐賀藩は国産の鋼製砲を生産してはいたのですが、両者ともヨーロッパの艦隊とは交戦していません。
青銅砲から鉄製砲に変わっていった最大の理由は、そのコストですが、それも、砲撃で砕けない鋳造法が開発されたことによります。これはイギリスのみで実現された技術で、背景には、良質の石炭を産出した国土にあります。石炭からコークスを作ることで、高熱を利用できるようになったため、良好な鋳造が可能になったようです。初期には木炭で行っていたのですから、相当な差があることでしょう。
この鉄製砲は、イギリスが一番良質であり続け、その流出を防ぐため、外国向けには、法外な高値をつけていたようです。
現時点で、全体のちょうど1/3が終了し、砲の全般的な歴史のところが終わり、これから砲の種類に入ります。
このところ、記事の更新は、この本の精読ばかり続いています。残念ながら、まだあまり時間が取れないので製作関係の記事はしばらく書けそうにありません。武装と艤装品のストックは、おおよそ6か月強ほど溜まっていますので、順調に行けば来年の春ころには、このあたりの記事がアップされる予定です。中断がなければ、全体が終了するまでに一年半ほどかかることになります。
原文では、原資料を引用している部分が一番厄介で、意味するところを理解するだけでもやっとの有様です。日本語の場合なら、大鏡くらいから後なら、原文を読んで意味がわからないということはありませんし、漢文でも味わいが理解できるかどうかは別として、何を言っているのか全く理解できないということはありませんが、英語のこうした時代の迂遠な表現は、何を言っているのかさえ理解できないことがままあります。
翻訳なら、文章に時代をつけて、ニュアンスを表現すべきですが、それは完全に私の手に余ることなので、意味の理解を最優先にしました。(それも誤っている可能性がありますが^^;)
「」でくくられている部分は、こうした資料の引用部分です。
多少は向上してゆくと思いますので、今後もよろしくお付き合いください。