8月は慰霊の月だ。
広島原爆忌、長崎原爆忌、日航機御巣鷹山墜落事故の日があり、
お盆、そして終戦の日を迎える。
子供の頃、家から少し離れたところにある工場のサイレンが
夜聞こえることがあった。
私たちを寝かしつけながら母は言った。
「おかあさんは、あのサイレンを聞くと今でもなんとなくいやなの。
空襲警報を思い出すから。」
「寝る前には枕元にきちんと服をたたんで並べておかないといけないのよ。
暗闇のなかでも手探りですぐ服をきて逃げられるようにね。
戦争の終わりごろにはもうそんな暇もなくて服着て寝たりもしたのよ。」
小学校も低学年の、寝たら朝まで寝てるのがあたりまえな自分と比べ
同じ年頃の母の日常はどうであったのか。
そのころの母の年を越えた今思うのは、私が小学生の頃を思い出すより
ずっと強く、母は小学生の頃の戦争の記憶を心の内に持っていたであろうこと。
通っていた小学校に焼夷弾が落ちて、担任の若い先生が亡くなってしまったこと。
東京大空襲の炎で赤く染まった空を山の向こうに見たこと。
終戦の日に海を埋めるアメリカ軍の戦艦。
そこから飛びたつ艦載機に身もすくむ思いをしながら、
「戦争は終わったから、撃たれはしない」ことを実感したこと。
水面すれすれに飛ぶ艦載機のパイロットの姿をみて初めて
戦争は人間同士がするものなのだと理解したこと。
それらの記憶は母の言葉により、子供の私の心にリアルな光景となって残った。
それは、母のそれとはまったく同じではないだろう。
けれど今生きている私を形作る記憶の1つになっている。
私と同年代以降の人はもう、父母にこんな話を聞くことはなかったかもしれない。
戦争は遠い日の、自分とは関係ない出来事かもしれない。
戦争の記憶を抱えながら生きてきた人は、なんでもない日常の中で
突然その日そのときが心に浮かぶのを感じながら生きて来たのではないか。
丁度母がサイレンを聞いたときのように。
・・・それすらも日常の範疇かもしれない。
取り立てて言うほどのことではないのかもしれない。
それは、決して今現在と関係ないものではないはずだ。
たとえ戦後生まれであっても、出会った人達にはそういう
内なる部分を背負った人もいたであろう。
その記憶は決して消えない。どこまでもなんらかの形で残るのだ。
「夕凪の街 桜の国」(こうの史代著 双葉社刊)で
私が一番感じたのはそのようなことであった。
戦争が終わってからも記憶と事象は継続される。
私達はその先(未来)で生きているということを、
ごく普通の市民を主人公にすることでリアルに心に描かせてくれた、
と感じている。
初めて読んだ日は一日この物語のことがふいに頭に浮かび、離れなかった。
それをどう受け止めていくのか、この先また考えて行くことなのだと思う。
このまんがに出会えてよかったと未来言える自分になりたい。
せめてほんの少しでも戦争体験を父母から聞いた最後の世代としても。
なお、この本は今年の朝日新聞手塚治虫文化賞新生賞受賞作なので、
今なら結構簡単に本屋で手に入ることでしょう。
この8月に是非一度読んで欲しい本です。私としては。
いつもおちゃらけなのに、こんなにまじめな文を書いてしまうくらいには
皆に知って欲しい作品です、はい。
広島原爆忌、長崎原爆忌、日航機御巣鷹山墜落事故の日があり、
お盆、そして終戦の日を迎える。
子供の頃、家から少し離れたところにある工場のサイレンが
夜聞こえることがあった。
私たちを寝かしつけながら母は言った。
「おかあさんは、あのサイレンを聞くと今でもなんとなくいやなの。
空襲警報を思い出すから。」
「寝る前には枕元にきちんと服をたたんで並べておかないといけないのよ。
暗闇のなかでも手探りですぐ服をきて逃げられるようにね。
戦争の終わりごろにはもうそんな暇もなくて服着て寝たりもしたのよ。」
小学校も低学年の、寝たら朝まで寝てるのがあたりまえな自分と比べ
同じ年頃の母の日常はどうであったのか。
そのころの母の年を越えた今思うのは、私が小学生の頃を思い出すより
ずっと強く、母は小学生の頃の戦争の記憶を心の内に持っていたであろうこと。
通っていた小学校に焼夷弾が落ちて、担任の若い先生が亡くなってしまったこと。
東京大空襲の炎で赤く染まった空を山の向こうに見たこと。
終戦の日に海を埋めるアメリカ軍の戦艦。
そこから飛びたつ艦載機に身もすくむ思いをしながら、
「戦争は終わったから、撃たれはしない」ことを実感したこと。
水面すれすれに飛ぶ艦載機のパイロットの姿をみて初めて
戦争は人間同士がするものなのだと理解したこと。
それらの記憶は母の言葉により、子供の私の心にリアルな光景となって残った。
それは、母のそれとはまったく同じではないだろう。
けれど今生きている私を形作る記憶の1つになっている。
私と同年代以降の人はもう、父母にこんな話を聞くことはなかったかもしれない。
戦争は遠い日の、自分とは関係ない出来事かもしれない。
戦争の記憶を抱えながら生きてきた人は、なんでもない日常の中で
突然その日そのときが心に浮かぶのを感じながら生きて来たのではないか。
丁度母がサイレンを聞いたときのように。
・・・それすらも日常の範疇かもしれない。
取り立てて言うほどのことではないのかもしれない。
それは、決して今現在と関係ないものではないはずだ。
たとえ戦後生まれであっても、出会った人達にはそういう
内なる部分を背負った人もいたであろう。
その記憶は決して消えない。どこまでもなんらかの形で残るのだ。
「夕凪の街 桜の国」(こうの史代著 双葉社刊)で
私が一番感じたのはそのようなことであった。
戦争が終わってからも記憶と事象は継続される。
私達はその先(未来)で生きているということを、
ごく普通の市民を主人公にすることでリアルに心に描かせてくれた、
と感じている。
初めて読んだ日は一日この物語のことがふいに頭に浮かび、離れなかった。
それをどう受け止めていくのか、この先また考えて行くことなのだと思う。
このまんがに出会えてよかったと未来言える自分になりたい。
せめてほんの少しでも戦争体験を父母から聞いた最後の世代としても。
なお、この本は今年の朝日新聞手塚治虫文化賞新生賞受賞作なので、
今なら結構簡単に本屋で手に入ることでしょう。
この8月に是非一度読んで欲しい本です。私としては。
いつもおちゃらけなのに、こんなにまじめな文を書いてしまうくらいには
皆に知って欲しい作品です、はい。