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祈れる倖せ

2018-08-12 23:08:02 | 宗教・教会

 私たちはクリスチャンなので、
 神さまに対して「祈る」ということができる。
 だけど大多数の日本人は何に対して手を合わせているのか、
 分からないまま神社に行き、お寺に行き・・・
 その願いが本当にきかれると思っているんだろうか?

 私たちは「洗礼」というものを受けてクリスチャンになった。
 それを「受洗する」と言う。
 そのためには聖書の教えを学ぶ準備期間があって、
 「キリスト・イエスを自分の救い主として認めます」という、
 信仰告白をしなければならない。
 そしてその信仰を教会の牧師先生方が見極めて初めて受洗できる。

 それは修行ではない。
 厳しい掟があるわけでもない。
 でも確かに私たちは主の教えを心に受けましたと、
 教会員の皆さんの前で証しないと受洗はできない。

 そうやってクリスチャンになった恩恵はものすごく大きい。
 それは信じる神さまがいるということ。
 その神さまがいつも私たちを愛してくださっているということ。
 一人ぽっちじゃなく、いつも共にいて下さっているということ。
 そしてどんな境遇にあっても決して見捨てられることはないということ。

 そんな聖書の教えを享受して生きていける倖せがあり、
 語りかけることのできる主を見上げて、
 祈りはきかれると確信をして祈れる倖せがある。

 日本人に対してでも伝道や宣教は難しい。
 ただ私たちが多くの隣人に対しても神さまに祈れることで、
 その人達を神さまが導いてくださると信じる事ができる。
 そのことにも日々、感謝だと思っている。

 願わくば多くの人が救われますように。


 見よ、わたしはあなたと共にいる。
 あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。
 わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。
                     (創世記 28:15)


 

 神はそのひとり子を世に遣わし、
 その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。
 ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
 私たちが神を愛したのではなく、
 神が私たちを愛し、私たちの罪のために、
 なだめの供え物としての御子を遣わされました。
 ここに愛があるのです。

                   (Ⅰヨハネ4910

 

 

 

 くぅ