昨日は身体が辛かった。
まともに寝られていないのでふらふらだったから。
でも、伝道師先生のメッセージの日だったのでがんばって行った。
昨日の説教の中心は、神にあって生きるということ。
肉の自分がいかに悪いことを考えようと、
イエスさまが十字架でその全てを背負って死んで下さった。
それだけでなく、復活されたときに我々も新しいものとされた。
良い行いが出来ないと嘆く事はない。
聖霊さまが良いものとして下さる。
神さまにゆだねていればその道は開かれる。
このメッセージはあのチャペルにいた人たち全員に向けられたものだけど、
本当にそうだったんだろうか?
伝道師夫人は「来てくれてうれしいです」と歓迎して下さって、
牧師先生も肩を抱いて祈って下さった。
この前の日曜日に聖書を破いて水をぶっかけ、
クリスチャンをやめるのだと伝道師先生に電話をした私に、
特別に語って下さったのではなかったか。
分かっておられたのではなかったか。
あのメッセージは私に向けて語られたものだったと。
伝道師先生は、私が来たときのために、
私の心に真っ直ぐに響くようにメッセージを考えて下さったのでは?
その後で偶然にも徹生さんが選んだ曲は、
「The Power of Your Love」だった。
私が自分の葬儀で歌って欲しいと思っている曲だ。
涙があふれて、とめどなく涙が出て、
感謝でいっぱいの礼拝に100回くらいまとめて出席した気分だった。
賛美とはこういうものだったんだ。
神さまの臨在を感じるとはこういうことなんだ。
感謝した。
ただただ、感謝の気持ちでいっぱいになった。
くぅ