Any

2008-06-22 12:16:45 | Weblog
「いま 僕のいる場所が望んだものと違っても~♪」

Mr.ChildrenのAnyの歌詞です。

どのような物事においても、最終的な決断は自分が下してるのだなとおもいます。

人がすすめたからとか、決して人のせいにはできない。

受験に失敗した。
志望校じゃないとこに入学した。

塾のおしえかたが悪かった。
親が行けといった。

とか人のせいにはするのは簡単。

受験にいたるまでの準備を妥協するという決断をした自分に否があるのだし。

上記はあくまでも例だけど、生きるということ、生活をするということは決断の連続だと痛感します。

いやー、また仕事辞めるか辞めないかについて延々とありました。
結局、辞めなかったんすけどね。

理由は単純に無職になるのが怖かったし、生活ができなくなるという不安のが大きかったから。

辞めたら辞めたで、一人暮らしを続けるか、実家に戻るかっていう選択肢がでてくるし、ほんとに選ぶことの連続。

こんな会社つづけてらんねーとか、あいつ嫌いだから辞めるとかは何の理由にもなんねーな。

それは結局は人のせいにして逃げてるだけであって。

どのような事においても、決断してるの。

やりたくない仕事であっても、生活を維持するために仕事してんのも結局は自分の決断。
最近は常々そう思う。
そうじゃないのかも知れないけど、そう思うようにしてる。


あと、最近すごく焦ってる。

まわりの友人が結婚してんのみて。
別に、いまだに結婚願望とかもないんだけどさ。

単純に結婚資金があるかとか、出産費用があるかとか考えるとそれだけの金ねーし。

赤ん坊をつれてくるお母さんになった友達をみると、子供育てられんのか?自分?

ってーか、できねーし。

最近になって、以前より貯金ができるような状況になって、通帳みてほくそ笑んでる自分がほんとに小さな人間に思えてくる。

思えば、写真に興味がない。レースに興味がない。
ただ会いたいという一心だけで続けた活動も完全にモチベーションが下がりました。

それでもスタッフさんが良くしてくれる部分と義理立てという意味を兼ねて、いってもいいという気持ちもありました。

伊藤さんのフリーズ、ピクニック、ボーリング、心動くものがあったのも事実ですが、それでも行けなかった。
一回新しくなったスタジオをみせてもらった時になんともいえない違和感を感じました。
入り口までしかいかなかったので、中がどうなってるかはわかりませんでしたが。

例えるなら、卒業生が母校を訪れた時の感じ。

自分のいる所はもうここじゃないなと思ってしまいました。


直接お会いして、今の現状をお話ししたいなという方もいましたが、自分からはコンタクトとらないつもりでいます。

それでもほんとに楽しかった思い出ばかりなので何の後悔もないです。
ありがとうございました。


自分がいま何やりたいのか、ずっとわからないでいるけど、みつけていければと思います。