志国特選ニュース!

至仁至愛(みろく)の大神

超感覚の㊙すなわち、大神より直流し来るものを感得し、 それを行為し得る独特のものを有しているのである。

2021-05-17 | 岩戸開き御用
考えること、意志すること、行為することの根本は、肉体からではない。
霊的な内奥の自分からである。
この内奥の自分は神につながっている。
ゆえに、自分自身が考え、意志し、行為するのではなく、
自分というものを通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給たもうているのである。
そこに、人が地上における司宰者たる、また、たり得る本質がある。
地上人が死の関門をくぐった最初の世界は、
地上にあった時と同様に意識があり、同様の感覚がある。
これによって、人の本体たる霊は、生前同様に、
霊界でも見、聞き、味わい、嗅かぎ、感じ、生活することができるのである。
しかし、肉体を捨てて、霊体のみとなり、霊界で活動するのであるから、
物質の衣ころもにすぎないことが判明する。
肉体を持っている地上人の場合は、その肺臓が想念の現れとなって呼吸する。
霊界に入った時は、霊体の肺臓が同様の役目を果たすようになっている。
また、心臓は、その情動の現れとなって脈打つ。
霊体となってもまた同様であることを知らねばならぬ。
この二つの動きが、一貫せる生命の現れであって、
生前も、生存中も、死後も、また同様である。
肉体の呼吸と脈拍とは、新しき霊体の呼吸と脈拍に相通じ、
死の直後に霊体が完全するまでは、肉体のそれは停止されないのである。
かくて、霊界に入った霊人たちは、すべて生存時と同じ想念を持っている。
為に死後の最初の生活は生存時とほとんど同一であることが判明するであろう。
ゆえに、そこには地上と同様、あらゆる集団と、限りなき段階とが生じている。
しかして、霊界においては、先に述べたごとき状態であるがゆえに、
各人の歓喜は、死後の世界においても、生前の世界においても、
これに対応する霊的の事物と変じて現れるものである。
この霊的事物は、地上の物質的事物に対応する。
人間が、物質界にいる時は、それに対応した物質の衣、
すなわち肉体を持ち、霊界に入った時はそれに対応した霊体を持つ。
そして、それはまた完全なる人間の形であり、
人間の形は、霊人の形であり、神の形であり、
さらに大宇宙そのものの形である。
大宇宙にも、頭があり、胴があり、手足があり、目も、鼻も、口も、耳もあり、
また内臓諸器官に対応するそれぞれの器官があって、
常に大歓喜し、呼吸し、脈打っていることを知らねばならない。
大歓喜は無限であり、かつ永遠に進展して行くのである。
変化、進展、弥栄いやさかせぬものは歓喜ではない。
歓喜は心臓として脈打ち、肺臓として呼吸し発展する。
ゆえに、歓喜は肺臓と心臓とを有する。
この二つは、あらゆるものに共通であって、
植物にもあり、鉱物にすら存在するものである。
人間の場合は、そのもっとも高度にして精妙なる根本の心臓と肺臓に通じる
最奥の組織を有する。
これはもはや心臓と表現するにはあまりにも精妙にして、かつ深い広い愛であり、
肺臓として呼吸するにはあまりにも高く精巧なる真理である。
しかして、この二者は一体にして同時に、
同位のものとなっていることを知らねばならない。
それは心臓としても脈拍でもなく、肺臓としての呼吸でもない。
表現極めて困難なる神秘的二つのものが一体であり、二つであり、三つの現れである。
そこに人間としての、他の動物に比して異なるもの、
すなわち、大神より直流し来るものを感得し、
それを行為し得る独特のものを有しているのである。

人間が一度死の関門をくぐり、肉体を捨てた場合は、
霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、
それはただちに変化するものではなくして、漸次その状態に入るのである。
第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、
第四は極内的状態、第五は新しき霊的生活への準備的状態である。
七段階と見る時は、内と外との状態を各々三段階に分け、
三つと見る時は内、外、準備の三つに区分するのである。
日月神示


今までの教えは魔法のやり方で、 金輪際の悪しき世の終わりであるぞよ。神諭

2021-05-17 | 岩戸開き御用
大事の仕組みの神魂であるから、
悪の霊が狙い詰めておるから、
何処へ行くにも一人で出すことは成らんぞよ。
人民からは赤ん坊なれど、
神がうつりたら誰の手にも合わん神魂であるぞよ。
大本神諭


王仁三郎も霊界最前線で神業に邁進していたために、
邪神たちに絡まれていた

審神(さにわ)は出来ていたはず。

だが、
三大邪神に絡まれた具体的な被害の記述があるだろうか?

霊界物語には、
三大邪神の特徴、特性の記述はあるが、、

やはり、
邪神の恐ろしさを誰よりもよく知っていたために、
報復を避けるために敢えて表に出さなかったのだろう。

御用人の考えでは、
王仁三郎の時代とは
神世界の背景が全く異なる。
あれから、85年と86年の間かいな
既に神世界での勝負付けは決している。

国祖クニトコタチは神界の主神に復活。

最前線に立つミコト持ちとして、
誰も知らない世界を披露する義務があると感じた。
邪神の裏を暴くことは危険ではあるが、
どうしても正義感、スリルゲームの方が勝ってしまう。
神カカリするためにキが大きくなる。

神の守りあり安心あれ。

正神が復活しているならば、
何故に、コロナカオスは収まらないのか?

今こそ、
改心の最終ステージなのだ!

一人でも多くを救いたいがために日夜の苦労
せめて解かるものが一定の域に達するまでは、、
三分か?

世の表と裏
五六七(みろく)対567(コロナ)

ひふみにある通り、
悪神は霊が利かなくなったので、
最後の悪あがきをしているだけだ。

御用人も同じく、
密かに特命の神業に取り組んで来たために、、

ラスボス★バアルは、
キリストに絡み付いたサタンのように
四六時中張り付く、、改心。

はたまた、
ファウストの悪魔メフィストフェレスのようにも、、改心。

イメージ図参照

誰も知らない必殺の㊙超魔術を繰り出しては、
御用人の本質を歪める、相手に信用させない、、改心。
超魔術の催眠術に酔わせて一時的に阿呆化、相手に信用させない、阿呆工作、続々破綻。
信用失墜工作、結束阻止、齟齬工作、離間工作、、続々破綻。
これぞ、邪神による悪の世の生命線、、続々露呈、破綻。

兎に角、孤立化させて乗っ盗りを、、、姦計は露呈、破綻。

超魔術の嵐、、収束。

この世始まって二度とない
後にも先にもない経倫ゆえに、
邪神バアルも半狂乱の暴走、目の敵だったが、収束。

邪神も肉体を持たない霊体であるために、
誰にも姿が見えないことをいいことにやりたい放題、、続々破綻。

超感覚を持つミコト持ちには通用しないぜよ!

幽界のことは無くなる。
邪神の侵略主義はモウ済みた。
今までの教えは魔法のやり方で、
金輪際の悪しき世の終わりであるぞよ。
サタンよ、
艮の金神が返報返しを致すぞよ。
大本神諭

邪神にも悪では続かんとモウ分かるぞ。
ひふみ






正神の守りあり、安心あれ!


王仁三郎との異次元邂逅。びっくり箱マル秘

2021-05-17 | 岩戸開き御用
王仁三郎との異次元邂逅。

ココだけの内緒

わしは大本の枠に入れられると窮屈でしょうがない!
世界の大化けモノじゃ!

王仁三郎は、
五十年間の雛型神業を終えて、
肉体を脱ぎ捨てて、
物質的な制約から解放された。
そして、
半霊半物質の神魂の姿となり、
神界において救世の大神業を始めている。

この世ばかりではないぞ
この世を去ってからも続くのじゃ。

お待っとさんでした!

はるばる(86)来たぜ箱(85)立てへ  

逆巻く波(内密)を乗り超えて♪

と軽やかに唄う。

はらはらだったが、

氾濫(86)するバアル(86)の箱(85)は一掃したぞ!

春張る(八六八六)箱だけや。波留箱じゃ。

箱と云ってもなあ、
天地のびっくり箱(85)は大神様の手中。
預言のような事態は人間の改心次第。
起こらないように改心して祈れ!

わしのびっくり箱(85)は、
春箱、波留箱(8685)じゃ。

取り違えなきように!

岩戸開きへの十の舞い、
誠の大な舞十(だいなまいと)じゃ。

神国魂(みくにだましい)には、
お見舞いや雪辱のみみっちい心はないわ!
過去を最も大きく引き離した者が勝ちじゃ。価値じゃ。
限り限り(ギリギリ)の鼻差どころか、
キを大きく持って、影を大きく引き離せ!

晴れ晴れや!

ほな!

バアルと獣族は永い春眠中。

追伸

正神の正結界vs邪神の逆張り結界
五六七(みろく)vs567(コロナ)
春(八六)vsバアル(86)
春負けどんvsハルマケドン
大な舞十vsダイナマイ?

神国魂(みくにだましい)
vs外国(幽界)魂(がいこくだましい)

大百十(おおもと)vs110の数霊バアル

vsは戦いの意味ではない!
表と裏である。

今こそ、九分九厘
ハルマケドンの大峠を越せ!


悪をよく消化し、浄化し、
そして、悪を抱き参らせよ。

神の国はキの国。
元のキの活き神の守護する国。
キを大きく持て!

愛弟子の岡本天明も一緒じゃ。

善一筋の世と申しても
今の臣民の言うている様な善ばかりの世ではないぞ。
悪でない悪とあなないているのだぞ。
このお道は、あなないの道ぞ、
上ばかり良い道でも、下ばかり良い道でもないのだぞ。
日月神示

ほな!