マトリックスレザレクションズ公開から数日が経ち、色んな方のマトリックス「続編」の意見が出てきました。
まあ賛否両論あるのは「公開する前」からわかっていたので、ここではマトリックストリロジーを何度も何度も見直してきた(DVDだけじゃなく Blu-rayセットも買って見てますから)私が、何故続編を心待ちにしてきたのかを語って見ます。
マトリックストリロジーと呼ばれる3部作+アニメーションとは何だったのか、をおさらいしたいと思います。
アニマトリックスを実は見ていない方が意外といて、マトリックスの始まりが何だったのか、フワッとしか理解していない人がいたりします。
「人格」を持った機会が、機械の「人権」を求めて国連でスピーチすることからスタートします。
この時、機械は「まだ」人を模していました。
人間として、認めて欲しい。
そういう訴えだったわけです。
しかし、それを認めなかった人類と戦争になります。
機械の力が思っていたより強大だと知った人類は、機械のエネルギー源である「太陽光」を遮断する事で機械文明の滅亡を狙います。
が、そこで機械は人類の生体エネルギーを電池として使うことにしたわけです。
で、戦争に負けて残った人類は地下に潜ったと。(実は人類の文明はその後何度も滅亡させられてる訳ですが)
残された人類「ザイオン」にする人達は、常に存亡の危機にさらされたいるわけで、(今まで6回滅亡している)ずっと機械との戦争を続けています。
正面から戦うわけにはいかないので、今度は「乾電池」となった人間を解放する事で、機械文明のエネルギー源を奪い弱体化を狙うと言うレジスタンス活動(機械から見るとテロ活動)です。
そして、マトリクスというOSのバージョンアップの為に居るのがネオで、彼はその為に作られた人間です。
そしてトリニティーも彼を覚醒する為に作られた人間です。(この2点を理解していない人も多すぎる)
マトリックスがループしているわけではなく、2人が毎回死んでいて、新たに作られて人格をインストールされているわけ。
だから救世主の「前任者」が全てネオなのです。時間をやり直してるわけがない。そんなことができるわけじゃない。
全ての人間は遺伝子からコピーされて何代も電池をやってる人達、そしてスミスがマトリックスにある人間にコピーされて船にいる肉体に戻ったように、人格をコピーされたネオとトリニティーもそのように作られた人間なんです。
3部作のラストで、ネオはトリニティーかザイオンかどちらかを選べという選択肢ではなく、トリニティーもザイオンも救うという新しい選択をします。
また、ネオを同化する事でウイルスとなった機会にも人間にも敵となった「アプリ」スミスを排除する為に、わざと負けて同化させ、肉体を繋いである機会の元でワクチンを使って勝利したわけですね。
で、ザイオンの滅亡も免れたと。
めでたしめでたし。
しかし私は何度見ても「???」だったのです。
めでたいか?
滅亡しなかったからめでたい?
いや、マトリックスに囚われた人達は?
けっきょく、電池のままなの?
自分達の命が助かったから、他の人類はそのままなの?
じゃあ最初から、戦争が無駄だったのでは?
マトリックスで幸せに暮らしてる人たちを巻き込んでいただけでは?
そう思っていました。
だから、その後を見たかった。
人類はまだ、戦争を続けるのか?
じゃあどうやってマトリックスに住む人達を救うのか?
そして、その大きな疑問二つをちゃんと説明して終わらせたのが「レザレクションズ」なのです。
だから私にとってこの続編は全てを纏めてくれた名作なのです。
面白いとか、面白くないとか、そんなことはどうでもいいのですw
この続編は、当時「描けなかった」監督の思想を真正面から描き切った全裸の映画です。全裸監督ですらブリーフは履いてました。が、こちらの方が全裸監督です!w
2人の兄弟が姉妹になり、作った映画が伝説になり、キャラクターが自分達の大好きだったフィギュアになり、出を離れ金を生み出す「中指を立てたフィギュア」です。
(始まってすぐにゲームを作る彼の机にあるマトリックスのキャラクターをパンした最後に中指を立てたフィギュアが映ります。意味はわかりますね?)
そして「キリストのような風貌になったネオ」から、歳をとったトリニティーを主役にした監督の想いを感じ取って、実はそれを許せなかった人がこの映画が面白くないと言う人がもしれません。
「囚われた人を解放する」
そんな映画なんです。