11~19世紀に栄えたベトナム王朝のお城が築かれていた「タンロン遺跡」
2010年にユネスコ世界遺産登録されました。
~東側には~
「端門」→「敬天殿跡」→「D67の家」→「後楼」→「北門」という南から北へという順路で巡ります。
それぞれの門は上ることが可能ですが年配の方は階段の蹴上が高いので大変かもしれません。
遺跡跡も見所たっぷりですが、途中のD67の家も必見です。
D67の家は周辺が軍の管理下に置かれているので入場制限がありましたが昨年12月から40周年を記念して正式公開されました。
~ベトジョーより~
同地下壕は、1972年12月18日~30日にかけて行われた米軍の「空のディエンビエンフー作戦(クリスマス爆撃)」の際、ベトナム人民軍最高司令官が指揮した場所。
内部面積は65平方メートルほどで、天井の厚さ1.4メートル、壁の厚さ40センチメートルのコンクリート製。
西側の発掘中の遺跡。見学者は殆どいませんでしが、広大な遺跡跡は圧巻です。
きちんと整備されていて屋根もあり遺跡を見学できるように通路もあり見学しやすくなっています。
~NHK世界遺産より~
ベトナムの首都ハノイ。かつてタンロンと呼ばれ、ベトナムの歴代王朝が都とした地でした。ハノイは王朝が変わっても都が同じ場所にあり続けた世界でも珍しい街です。タンロンとは昇龍を意味します。1010年、ベトナムに最初の王朝「李朝」を開いたリ・タイトが、この地で空駆ける黄金の龍を目撃したことが地名の由来です。
ここタンロンで、2002年、ベトナム考古学史上最大級の発見がありました。国会議事堂移設のため、その候補地を調査していると、多数の歴代ベトナム王朝の建築物の遺跡が出土したのです。これらの遺跡はフランス占領時に破壊され、姿を消したと思われており、多くの人々を驚かせました。更に調査を続けていくと、ベトナムが中国、唐の支配下にあった時代の安南都護府の遺構も見つかったのです。安南都護府とは、唐が異民族支配のために築いた軍事施設。奈良時代、遣唐使として唐へ渡った阿倍仲麻呂も、ここに長官として赴任してきました。謎だった安南都護府の所在が裏付けられたのです。
龍とともに1000年歩み続けてきたタンロンは、これからも悠久の時を刻んでいきます。
ハノイのタンロン王宮中心部
Di tiich Hoang Thanh Thang Long
Hoang Dieu, Ba Dinh Dist.
もし、私がやったら・・・イメージを崩してしまいます。
(T▽T)アハハ!