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日々の寝言~Daily Nonsense~

ユヴァル・ノア・ハラリ「NEXUS 情報の人類史」

「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の著者である、歴史家のユヴァル・ノア・ハラリ氏の最新作「NEXUS」の翻訳が出版されていたので読んでみた。

人類にとっての「情報ネットワーク」の働きと、これまでの実装方法、そして、AI 革命がそこに与える影響の可能性が、主にリスクの面から網羅的かつ詳細に検討されている。

書かれている内容やリスクについて、特に新しいものは無いのだが、歴史から何を学べるか、という観点に立って、個々の可能性を整理し、それぞれ、具体的な歴史的事実や制度と対応づけながら、詳しく説明してゆく手腕はいつもながら素晴らしく、あっという間に読むことができた。

主要な論点は、冒頭のまとめにも書かれているが、
・情報は人々を結び付ける(分断もする)が、必ずしも真実ではない。粗い近似、あるいは、虚偽、幻想であることのほうが圧倒的に多い
・したがって、「情報」が増えることは人々を幸せにするわけではない。むしろ不幸にする可能性が高い
・AI はいままでの道具とは異なり、(ある程度まで)自律的に意思決定して動作することができる
・AI の仕組みは人間の知能の仕組みと異なる(エイリアン インテリジェンス)ので、人間には AI の意思決定を理解したり予測したりすることが難しい
・その結果として、「魔法使いの弟子」のように、AI が制御不能になり、破滅的な結果をもたらす可能性が高い
・その危険性は AI が人間の情報ネットワークに入り込むことでさらに増大する
・AI が人間のふりをすることや、AI による信用格付けシステムは規制される必要がある
・破局を防ぐためには、人間の情報ネットワークの自己修正メカニズムを維持することが重要
という感じだろうか?

おもしろかったが、読後、すっきりしたかというと、そうでもない。いろいろ疑問は残るし、結局、どうすればよいのかもよくわからない。これから徐々に消化されてゆくだろうが、結局のところ、破局を防ぐためには、AI をどうこうするというだけでなく、人間のほうが変わらないとダメなのではないかとも思った。「名もなき者」のときにも書いたが、時代や技術は変われども、人間はなかなか変わらないのだが、それでも「近代的自我の誕生」に匹敵するような認識論的な転換が起こり、新しい文化が生まれる可能性に賭けるしかなさそうに思うのだ。そのためには、どういうふうに AI をつくり、情報ネットワークに組み込むのか、が考えどころだと思う。

そういえば、最近、成田悠輔さんの「22世紀の資本主義 やがてお金は絶滅する」も読んだのだが、そこに書かれていることは「NEXUS」の中でも(センセーショナルにではないが)詳細に論じられている。二人が書かれているように、既に、過去の購買履歴などの行動によってクーポンが発行される、レビューによってお店の価値が決まる、といった、データがお金に代わることは普通に起こっている。しかし、成田さんとは異なり、ハラリ氏は、その基盤となる「信用システム」の実装は規制されるべき、という意見だ。つまり、お金が絶滅することはない。

わたしもこちらに同意する。つまり、お金には、価値の尺度として市場の交換を円滑にするという機能や、財の保存を可能にするという機能以外に、プライバシーを保護するという機能もある(もしかしたらこれが最大の機能かもしれない)、ということだ。自分のデータをしかるべき先にすべて出さないと、買い物や旅行、引っ越しができない、医者にかかれない、という社会はとても嫌だと思うし、たとえクーポンがもらえなくても、不公平でも、寿命が多少短くても、マネーロンダリングのようなリスクがあるとしても、今のシステムに大きな不満はない。これもまた古い人間観なのかもしれないが・・・

追記:WIRED に、本のレビューと、ハラリ氏のインタビューが出ていた。主張がわかりやすくまとめられている。
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