> ロボット工学の第一人者で、大阪・関西万博シグネチャーパビリオン「いのちの未来」のプロデューサーを務める著者が、50年後の未来を考察する未来予測本。
ということで、これまでの人間の歩み、自身のアンドロイド工学、アバター工学の歩みを踏まえて、人間の未来の姿が描かれている。
人間の文明が変わるというスケールで語られているという点では、ハラリさんの「ホモ・デウス」や「NEXUS」とも近い印象を受けた。
ポイントは、副題にもあるように、人間とロボットの境界が曖昧になり、融合してゆくということ。
その結果、人間はひとつの身体から解放されて、多様な身体(アバター)に自由に乗り移りながらとても長い寿命を生きることも可能になる、という。
落合陽一さんの「ヌルの森」も、自分のアバターが作られて、それが自律的に会話するのを見る、というような体験が中心にあるようなので、どちらも、案外、よく似たことを意味しているのかもしれない(その意味では、ヌルの森に入れなかったのはとても残念だった)。
現実的に考えると、機械やコンピュータとそこまで深く融合し、乗り移れるようになるための技術(ハードウェアやブレイン・マシン・インタフェースのようなインタフェース技術)がどこまで発達するか、という問題はあるし、他にも、いろいろと楽観的過ぎると思われるところはあるのだが、それでもひとつ筋の通ったストーリーを持っているというのは素晴らしいと思う。
アバターによって、いろいろな身体を乗り移り、他者と共有したりすることも可能になると、人間は「個」の制約から解放されるという。これは、とても良いことなのだが、しかし、好きな身体にだけ乗っていたら、スーパーカーを買う人のように、もっと良い身体を求める欲求がまして、格差が広がるような気もする。
やはり、「個」の制約を離れて、人間が次のステージに進むためには、輪廻転生のように、無理やりいろいろな身体を経験させられる、という修行のようなプロセスが必要なのではないかと思った。逆に言えば、輪廻転生のあげくに涅槃に達するというのは、人間以外も含めて多様な身体を生きることを通じて、ひとつの身体という制約に由来する我欲や差別的意識が消えてゆく、ということなのかもしれない。
追記:その後、読み進めているが、同じことの繰り返しが多くて辟易する。急いで出した本なのだとは思うがかなり気になる。書いてあること自体は面白いので、ちょっと残念だ。
さらに追記:落合館の内部のクオリティの高い動画が YouTube にあった。石黒さんのように、アバターで「個」を拡張するというのではなく、落合さんは、自分のアバター=きごう=意味を捨てて(そういうことはすべて「けいさんき」=デジタルネイチャーに任せて)、人間は瞬間を生きるようになろう、という、よりラディカルで破壊的な方向のようだ。それでも、近代的な「個」からの解放という意味では同じ方向といえなくもない。石黒館と落合館は、なんらかの形で万博後も残して、体験できるようになると良いと思う。
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