宝物。

ひとり言など

イソアリインとアリイナーゼ…

2013-03-28 07:40:46 | ひとり言
最近のマイブームは、味噌汁を頂くこと。


玉ねぎとネギをたくさん食べたくて

味噌汁を作ってからハマり、

毎日今までにない量の

玉ねぎとネギを食べています。


おかげまさで、今年の冬から春にかけて

風邪をひくこともなく

元気に過ごせています。



<玉ねぎ>

玉葱を切ると涙が出るのはイソアリインという催涙性前駆物質が玉葱を切ることによって

アリイナーゼという酵素と反応して催涙性物質になるためです。

催涙性物質から産生される含硫化合物にはさまざまな作用があり、

特に血小板凝集抑制作用が特異的です。


調理で加熱すると、また別の物質(トリスルフィド類やセパエン類)に変わります。

これらの物質は心筋梗塞や脳梗塞などの原因となる中性脂肪や悪玉コレステロールの値を下げます。

血管を詰まらせる血栓を溶かすことも確認されています。血液をさらさらにし、動脈硬化を防ぐ作用があります。


玉ねぎの含硫アミノ酸は、玉ねぎを切ると、酵素の作用で別の物質(チオスルフィネート類)に変化します。

これが生でかんだときの強い辛味成分です。この成分は強い抗菌・殺菌作用があり、

コレラ菌を死滅させる力さえ持っています。(引用)



<ネギ>

-栄養・薬効-

ネギ独特の刺激臭は、ニンニクや玉ねぎと同じ、アリシンという揮発性の成分。

アリシンは体力回復に役立つ。血行をよくして体を温め、肩こりや疲労の蓄積を防ぎ、

神経を鎮め、体調を整える働きがある。アリシンは、熱に弱く、長く煮込むと効力は減り、

甘み成分に変化する。

白い部分は、ビタミンC。葉の緑の部分は、ビタミンC、ベータカロチン、カルシウムも含まれている緑黄色野菜。

ベータカロチンは粘膜の健康を守り、ビタミンCには抗菌作用がある。


-漢方-

漢方でネギの白い部分を「葱白(そうはく)」と呼んで、漢方薬として利用している。

体を温め、発汗作用で、風邪の初期・冷えによる腹痛の治療に用いる。

また、鼻詰まりの改善や痰の除去、喉の炎症を鎮める効果がある。

「風邪のひき始めに、ネギ(白い部分)としょうがのみじん切りに味噌を合わせ、

熱湯を注いだものを飲み、温かくして寝る。」「焼きネギ湿布」「刻みネギと梅干しを入れた熱いお湯を飲む」

というのは、昔から風邪の処方としてよく知られています。発汗作用が促され、

熱が下がるとともに、ネギに含まれるイオウの鎮静効果で不眠にも効果がある。(引用)

ミケランジェロ…

2013-03-17 18:58:43 | アーティスト


バチカンのサンピエトロ寺院は、ルネッサンス芸術の結晶ともいえる荘厳な建物である。

この中にあるシスティナ礼拝堂の壁画は、 「ミケランジェロが描いた傑作」である。 

当時の建築家ブラマンテは、ミケランジェロの人気に嫉妬して法王ユリウス2世をそそのかし、

まだ壁画を描いた事のないミケランジェロにシスティナ礼拝堂の壁画を描かせて失脚させようと

たくらんだのだ。

ライバルである画家ラファエロがバチカン宮殿に壁画を描いて大好評を得ていただけに ここで

へまをすればミケランジェロの名声が大きく傷つく恐れがあった。

ミケランジェロは、自分は彫刻家で画家ではないと懸命に断ったが、法王は、聞いてくれない。

そこで、仕方なくバチカン宮殿の裏庭で赤土と黄土を掘って膠と水を混ぜ合わせ何度も試して

満足いくものが出来るようになり、困難な仕事に立ち向かった。

数人のお手伝いだけで助手の援助も拒み、たった1人で、長さ40m、幅13mの広大な天井に

取り組んだのだ。しかも20mの足場を作りそこに登って仰向けと結う不自然な姿勢で描かな

ければならず亦、滴る絵の具が目に入って目が悪くなったり、顔が「モザイクの床」のように

きたなくなってしまったという。

血のにじむような努力の末、ついに「アダムの創造」「原罪と楽園追放」「ノアの洪水」など

「創世記」の一連の物語を完成させたことで当時名声が高かったダヴィンチや、ラファエロに、

自らの才能が勝るとも劣らないものであることを証明した!





現在見られるサン・ピエトロ大聖堂の建設は、1499年に教皇アレクサンデル6世が大聖堂の改築を思い立ち、

1505年の秋頃に 教皇ユリウス2世によって改築の決定が行われたことによって始まる。

当初は自らの墓碑を据える発想だったが、ジュリアーノ・ダ・サンガッロの新聖堂建設の提案を元に

計画がどんどん膨らみ、全面的に建て替える壮大なものになった。

建築設計競技によってドナト・ブラマンテが主任建築家に任命され、1506年4月1日に起工式典、

そして4月18日には基礎石の設置式典が行われている。

ただし、これらの作業に伴う改築決定の勅令や、古い聖堂を壊す契約書といった公式書簡は全く残されていない。

このためユリウス2世とブラマンテは、まだ使用に耐えうる旧聖堂破壊の公式な決定をあえて避けたとも考えられている。

ただし、ユリウス2世は各地に宛てた書簡の端々で、旧バシリカが倒壊寸前であること、状況を打開するには思い切った

行動が必要であることを説明している。

ブラマンテの計画案は、現在、フィレンツェのウフィッツィ美術館に納められているが、彼がこの大聖堂について決定した

事項について知られているのはこの平面プランと、基礎石の下に埋め込まれ、「ペテロの神殿の再生」の文字と立面を

刻印したカラドッソ作の記念メダルをおいてほかにない。これは、中央に大きなドームを持つギリシャ十字形の建物であり、

四隅の塔や小さなドームなどを備えながらファサードを持たない構造だった。

この設計の特色はルネサンス的な美学が反映している。建物は各部が回転対称にデザインされた集中的プランと呼ばれるもので、

数学的調和を重視した結果である。ドームもまた同様に、宇宙を象徴する完全な半球が想定された。(引用)