徳川光圀による葬礼神式化のすすめにより、武士の多くはそれに従ったようです。水戸では神式の墓地の多いことが特徴の一つであるようです。下の写真は、いずれも酒門共有墓地で撮ったものです。
大母
父母の母、つまり祖母のことだそうです。祖父は大父というそうです。以前女性は、名前が墓に書かれなかったようで、この墓の場合は、「嫁いだ家の姓(孫の姓)」「大母」「実家の姓(-家)」「墓」となっています。
孺人(じゅじん)
妻のことだそうで、中国渡来の言葉のようです。この墓も「嫁いだ夫の家の姓」「孺人」「実家の姓(-氏)」「墓」という書き方になっています。
曁配(およびはい)
夫婦の墓では、夫の名前が左に書かれ、次いで妻が書かれるのですが、その間に、この「曁配」が入るようです。「曁」は及ぶで、「配」は配偶者だそうです。この墓では、「曁配」「実家の姓(-氏)」「婦人」「墓」となっています。
招魂碑
この人は北海道・五稜郭の戦いで戦死したそうです。そのため多分、墓は北海道にあり、生地の水戸には招魂碑が建てられたのではないかと思います。
大人命(うしのみこと)、媼命(おうなのみこと)
大人は70歳までの壮年の男性に付け(70を越えた男性は翁(おきな)というそうです)、媼は70歳以上の女性に付けるそうです。でも、最近は、年齢による区別をしないで、男性は大人、女性は刀自(とじ)とするようです。ただこの墓では、男性75歳、女性93歳でなくなったようです。こうした書き方は江戸時代の墓では見られないので、多分明治以降のものだと思います。
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