水戸の硬派というイメージとは違った政治家が多いようです。水高(旧制水戸高等学校)は、今の茨城大学の前身で、第一中学校と水高スクエアの地にあったそうです。写真は、水高本館です。
赤城宗徳(明治37-平成5)
茨城県真壁郡(現・筑西市)の出身で、衆議院議員15回当選、農林水産大臣を6回。日ソ漁業交渉に尽力したそうです。岸内閣の防衛大臣在任時、安保反対運動に対する自衛隊出動要請を拒否したそうです。
宇都宮徳馬(明治39-平成12)
東京生まれで、ミノファーゲン製薬創立、戦後、衆議院議員を10回・参議院議員を2回。宇都宮軍縮研究室を主宰して軍縮や日中友好に尽くしたそうです。
後藤田正晴(大正3- 平成17)
徳島県生まれで、衆議院議員7回。カミソリ後藤田といわれ、警察庁長官などの官界から政界に転身し、法務大臣や副総理等に就いたそうです。論理的なリベラル派だったようです。
丹羽喬四郎(明治37- 昭和53)
東京の出身で、茨城3区から衆議院議員9回。情報局情報官などの官界から戦後政界に入り、運輸大臣等になったそうです。
水田三喜男(明治38-昭和51)
千葉県出身で衆議院議員13回、通商産業大臣や、大蔵大臣3回。大同石油取締役などをつとめて、実業界から官界へ移ったそうで、積極財政論者だったそうです。城西大学を創立したそうです。
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