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水戸の酒の話(11)

2020-03-22 20:15:27 | 水戸

 写真は、根本町の正月行事わーほいで、短く切った竹を容器として供えられた酒・塩・米です。

 
 貞享・元禄(1684-1704)のころ、泉町の広小路あたりに、がんぶく酒というものを売る店があったそうです。それは、酒をしぼる酒袋を洗うときに出る汁だったそうです。そんなもので酔えたのでしょうか。でも、ほかでもそんな話を見たことがありますので、実際にあったのでしょう。

 

 徳川斉昭には、藤田東湖を筆頭に酒豪の臣下がたくさんそろっていたようですが、ご本人はまったく酒を飲まなかったそうです。東湖が斉昭に色事はほどほどにと諌言したところ、斉昭から酒が過ぎるので減らせといわれて参ったという話は、斉昭が下戸であるということで面白さが倍増します。でも斉昭は酒が飲めたという方がずっと面白いと思うのですが…。

 

 天保5年(1834)のお達しに、葬式のときに酒を出す者がいるが失礼にあたるので以後禁止するということが書かれていたそうです。儀礼を質素に行うようにということとともに、葬儀という場で酒を飲むことことを戒めているのでしょう。

 

 天保14年(1843)に、上酒1升を172文で売るようにというお達しが出たそうです。ということは、もっと高い値段が付けられていたということなのでしょう。1両をごくおおざっぱに10万円とすると、172文は4,300円。ですから、当時酒はそうとう高額だったといえるのでしょう。もっとも、上酒の値段ですから、普通酒はもっと安かったでしょうが、それでも今の感覚よりは高かったように思います。

 

 「おおだら(大足)だらと雨ふって、杉崎すべって、鯉渕ころんで、万蔵寺まぐれて、犬塚犬めにほえられた」などという地名を読み込んだ悪口があったそうですが、同様に、「青柳かん鍋口ばかり 枝川ちょうしは底ぬけだ」どういう悪口も、どういう背景で言われたかは知りませんが、あったそうです。

水戸の酒の話(10)


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