徳川光圀の侍医だった井上玄桐が残した「玄桐筆記」にある、光圀の逸話のいくつかです。
子供のとき、屏や屋根の上を走るのが好きで、その敏捷な動きについてくることのできる人はいなかったと本人が語っていたそうです。
父の頼房が、戦場で自分が重傷をおったとき、お前は自分を助けるかと聞くと、あなたの身を乗り越えて敵と戦うと答えたそうで、頼房は感心したそうです。
江戸の屋敷で、兄と馬上での竹刀(しない)打ちをしたそうですが、相手にならなかったため、負けん気の光圀は、組み付いて自分が上になって一緒に落馬し、首を取るぞというと兄は、とってもよいが腰が痛いといったそうです。また、光圀は乗馬は得意で、馬上に立ったり、どんな悪馬でも乗りこなしたそうです。
辻相撲にもときどき出たそうですが、強く投げられて失神したこともあったそうです。ある夜、駒形で相撲をしたとき、味方がすべて負けてしまい、腹いせに、味方皆で着物を着て、にくきやつめと刀をひらめかして相手を裸のままに逃げ散らせたそうです。悪さをしていた頃の話だそうです。
若い頃でしょうが、江戸にいたころ、しばしば身をやつして外出することがあり、町々の間道まで非常によく知っていたそうです。これは何かあったときに江戸近辺の地理を知らなくては、人を動かすのに都合が悪いという考えからだったそうです。
写真は、祇園寺にある亡き東皐心越を追悼した光圀の七言絶句です。
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