「これ読んで!」と手渡されたのが、
あの有名な日経新聞の「男の履歴書」「流 政之氏」の随筆。
当時担当者であった、元文化部長からの新聞のコピー一冊であった。
もう、10数年前のこと。
「彼がねえ・・・男の履歴書を書いてくれって・・・俺のところに来るんだよ。
だがねえ・・・あの記事を書くと殆どの人が、平均5年以内に死んじゃうんだよ!
だから・・・こいつにね、俺を早死にさせるな。。。あと5年たったら考えると言ってその5年後にやったモンさあ(笑)」流氏
「僕はね・・・流さんに、お前いつまでそんな仕事やってんだ!自分のやりたい事をやれって・・・一喝されて・・・いろいろ考えた挙句に今、○○に住んで小説を書いているんです。」元記者san
それから2・3時間いろいろなお話をさせていただいたのですが、案外流先生の肉声って言うのは言葉で残すとトテモ面白い。
ある意味書ける範囲で書くのも、氏の人間性の破格な大きさが読んで取れるのかも知れない。
初めての酒宴の席で、15・6名の自己紹介が終わった。
流先生は横に座られた方の名刺をご覧になって
「ところで・・・あんたはずいぶん偉い人なんだねー・・・7つも8つも肩書きがあるけれど・・・ところで・・・何で食べてるの?」流氏のナガレ流
「実はあのー・・・」D氏(沈黙)
(あー・・・これは・・・流先生には一地方の名士などなーんにも興味はないのよ!
名士であれば・・・自分の作品を買うか買わないか。。。・・・であろう・・・と思った。)
十数年前に初めお逢いしたときは、確かに「地方の用心棒」のような風格がにじみ出ていたのだけれど、5年前は、かなり穏やかで本来の氏の温かさが伝わって来ました。
流氏からいただいた画集は主に海外で活躍された頃の各外国の所蔵品が主なものでした。
そのページの最後に瀬戸内寂聴さんと、流氏のエピソードが載っていました。
寂聴さんが離婚をして、再起の為にまだ小説を書く以前に、ある小さな編集社で仕事をする事になりました。
その時の編集長が「流氏」であったという事実です。
「そして今日の、世界的な仕事をされて大成する事をその時から私は信じていた。」
と、いう文言があるのです。
寂聴さんは、おべっかやお世辞など・・・する必要もない方なので
そのメッセージを読んだ時のインパクトが・・・私の脳裏に刻まれています。
「女にふられ・・・さめざめと男泣きする流さん」・・なんても書いてありました。
実にすごいことです。
当時は無名同士の、おふたりが・・・
日本・世界を代表する・・・ナガレ流彫刻家に。
日本女流文学の歴史上きっと最高峰に位置するでしょう・・・瀬戸内寂聴氏
無名の頃の、未来がまだ見えていないお二人のかかわりが・・・妙味ですね。
しばらく、妙味で粋なシリーズで・・・書こうかな。。。
興が乗ったら・・・の話
酒宴も終わり席を立つと、席を予約された方が
「先生。。。お料理はいかがでございましたか?」Mさん
「あー料理に舌を合わせていたよ!」流氏は
ゆっくり応えた。
言葉の使い回しが、独特です。決しておいしいとは言ってないのです。
風 格 あるなーって・・・怖れいったものです、
北海道大沼公園…流政之作品(ストーンクレイジーの森)
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