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三陸大津波―昭和八年三陸大海嘯

2005-06-24 23:36:03 | 津波
 さて、明治29年の三陸大津波の記憶も、まだ薄らいでいない昭和8年3月3日午前2時31分、再び三陸地方を大津波が襲った。死者1400名余り、行方不明1262名と、またもや甚大な被害を蒙った。釜石付近が最も被害が大きく、気仙郡内では唐丹(とに)綾里(りょうり)、吉浜、広田、越喜来(おっきらい)赤崎などの被害が大きかった。(参考文献「広田漁業史」昭和51年発行 岩手日日新聞社)
 津波調査に当った東北大学助教授林喬博士の報告によると、岩手県北の久慈から県南広田にいたる港湾の地質は古生層で岩質が硬く、港湾が深く両壁は直立した岩壁で津波の被害が大きくなる。一方、青森、宮城の海岸の地層は中生代で岩質は軟らかいため、津波の被害は岩手に比較し少ないという。(参考文献「岩手近代百年史」前掲)
 この後さらに、昭和35年、いわゆるチリ津波が三陸を襲う。
 近世以来の歴史を顧みれば、百年に二度ないし三度、三陸地方は津波被害に遭っている。近い将来、津波に襲われる可能性が高いということを、住民は感覚的に理解している。
しかし、津波に襲われる地域の自然は何故こうも、美しいのであろうか。(写真:田野畑村 鵜の巣断崖 岩手県観光協会HPより借用)

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