いつのまにか、防災科学研究所Hi-netの高感度地震観測網の地図上から秋田県内陸の地震情報だけではなく、敦賀湾沖の地震情報も消えていました。
これで、筆者が敦賀湾沖、能登半島沖、秋田県内陸部、青森県沖の4点を結んだ線は描けなくなりました。
もしかして、防災科学研究所関係者がこのブログを目にし、煽り行為と見做し削除したものか、またはこの二カ所の地震情報に誤りがあったかのどちらかでしょう。
素人が思いつきで、学術的に根拠がない推測を拡めるな、ブログに書くなと言う警告かもしれません。
筆者の書き方は良くない面があったと思いますが、フェイクではありません。
公開情報を訂正記事なく『いつのまにか削除されていた』に少し驚いています。
筆者の目的は決して煽りではなく、『油断するなかれ』と言いたいだけなのです。
マグニチュード9だった東日本大震災の二日前3月9日にマグニチュード7.3の大きな地震と津波が発生したにも拘わらず、気象庁は今後の余震に注意という警告を行ったことに止まりましたが、その後見直しがあったと思われます。
『余震』と言う言葉は誤解を招くので使うべきではないと東北地方の住民である筆者は、震災後、ブログに書きました。
その地震以降はそれより大きな地震には見舞われないだろうという油断を招くからです。
しばらく見直しが行われることはなくガッカリしていたのですが、同様に思う人がいたのでしょう。
いったん『余震』という言葉は使われなくなったのですが、今日のTV報道では、やはり『余震』という言葉が使われていました。
『津波は既に到達した』とだけ言うと、すでに到達したから、もう大丈夫と解釈する人がいます。
『津波の第一波は既に到達したものの、さらに大きい壁のような第二波、第三波が打ち寄せる危険があります』くらい言わないと、避難した人たちが帰宅してしまう可能性があります。
専門家や津波の歴史を調べたことがある人間なら、どこかで読んだことがあるでしょう。
1896年明治29年6月15日(旧暦5月5日)の明治三陸地震津波のときは、津波襲来の1時間20~30分前の午後7時頃に小さく長い地震があり、その後何度か微震があったということです。
そして、海のかなたから大砲のような轟音が聞こえたものの、軍艦の訓練くらいに考え、気に留めず、端午の節句の日に団欒している最中に、大津波に襲われたのだといいます。
過去の教訓に学ぶことは多いと考えます。








