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三陸大津波―明治三陸大海嘯(その2)

2005-06-24 07:13:51 | 津波
引用をつづける。(「岩手近代百年史」に引用された新渡戸仙岳著「三陸大津波」)「すると間もなく、万雷の一時に激するような音響と共に、二三十米にもあらんとおぼしき黒山のような波浪が耳をつんざくばかりに怒号して、天をつき、地を捲き、猛り来り、狂い去り、一瞬の間に沿海一帯七十里の人畜・家庭・船舶ありとあるものすべてのものを一なめしに払ってしまった。 ―中略― 此の日はあたかも陰暦五月五日に当っているので、奉公に出ているものや、出張している者などは、皆懐かしい家庭に帰ってきて、一家団欒し、端午の祝いの膳に就いたばかりの時のでき事なのである。―中略―
斯くて翌日までに大小数十回の波が襲来して来たが、第一回から第三回までが最も大波であった。波の高さは場所によって一定しないが、大概十五mから二十四mに達した。」
(「岩手近代百年史」ところがこの大津波を県庁は全く知らないでいた。翌日の午前六時、青森県庁の急電によって初めて知ったことからも、三陸東海岸が、如何に徹底的な打撃ををうけ、通信施設も根こそぎもっていかれたことを示している。―略―)

阪神淡路大震災でも余りに被害が大きく、当時十分に普及していなかった携帯電話から、ある国会議員が連絡したにもかかわらず、公式に連絡がないと、政府は被災状況を軽視、自衛隊の出動命令等が遅れるといった、大きな誤ちをおかし、犠牲者数の増大に繋がったのは、記憶に新しい。

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1 コメント

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Unknown (多数)
2005-06-27 21:23:48
初めまして。

トラバありがとうございます。

過去の三陸沖の津波で多くの犠牲があった歴史の一端がよくわかりました。

だから、高い堤防が築かれているのですね。

参考になりました。



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