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三陸大津波の歴史を伝えるということ

2011-12-17 12:50:31 | 津波
(写真:岩手県立高田病院の窓から高田松原を望む)

三陸の津波の体験と歴史を伝えてきた山下文男氏が亡くなった。
ご冥福を祈りたい。

陸前高田を訪れて以来、三陸大津波の襲来が私にとって最大の心配事になった。
高田で仕事中にちょっとした地震があり、椅子から腰を浮かして、津波が来ないか心配する私に苦笑する人もいたものだったが、そのことがブログをはじめるきっかけとなり、以来6年余りが経った。不思議な縁を感じずにはいられない。

そんな怖がりの自分が、その後、縁があって、三陸で暮らした時期もあり、仕事の中で自然災害発生時の対策に多少なりとも関わった。
今は被災地を遠く離れて暮らしているが、かつて福島県浜通り、仙台、岩手県沿岸に暮らしたことのある私にとって、東日本大震災は心が揺さぶられる大きな出来事であった。

岩手県に長く暮らしていながら沿岸部にほとんど行ったことがなかった私は、大船渡市博物館の充実した津波展示コーナーや関連施設に立ち寄ってみるようになった。
結果、岩手県立博物館など岩手県の主要な施設には三陸地方に連綿と続く津波の歴史を伝える展示がないことに気がついた。
2005年当時、盛岡駅前に建設中の「いわて県民情報交流センター 通称アイーナ」の展示についてパブリックコメントが行なわれていたので、「岩手県には津波の歴史を伝える県の施設がないため、岩手の玄関口盛岡駅に近いこの施設内にそのコーナーを設け、広く県民や県外から訪れた方々にその歴史と教訓を伝えるべきだ。」と提言した。
行政言語(あえて行政用語と言わない)を知らなかった私は「前向きに善処」という回答に大いに期待したものだった。しかし、完成したアイーナの中に津波に関する展示スペースはなかった。

今度こそ、岩手県には、おそらく将来も繰り返されるであろう三陸の津波の歴史と教訓を伝える施設整備を期待したい。
住民や自治体に対しては、(無理な話かもしれないが)あえて言わせていただくなら、利便性を優先して再び悲劇を繰り返さぬよう、歴史が伝えてきた事実に目を向けて頂きたい。

明治29年の明治三陸大津波では岩手県は1万8千人の命を失った。津波の前年明治28年の岩手県の人口は70万5千人。この津波で岩手県沿岸部は全戸数の半数、人口の2割以上を失ったのである。
今回の津波を「千年に一度」とか「未曾有」という人がいる。だから仕方がなかったのだと慰めのつもりなのだろうが、間違っても、「あと千年は来ない」などと思ってはならない。

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