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スペイン巡礼のホタテ貝と青森の貝焼き味噌―東日本大震災から5年に想う

2016-03-13 19:46:09 | 津波
昔、スペインを訪れ、彼の地はいたくお気に入りの地となった。

この国は一見明るい印象を与える。しかし、キリスト教とイスラム教との戦い、キリスト教ユダヤ教異端裁判、アメリカ大陸をはじめとする世界各地における植民地政策、スペイン内戦などなど、文字通り『光と影』の険しい道を辿って来たことを、自分もかつては知らなかった。

安土桃山時代から徳川時代の初期にかけ、彼の地より多くの冒険者が日本を訪れた。キリスト教布教の裏側に隠された世界征服の野望を察知した秀吉、家康など当時の為政者たちの目は厳しく、その後切支丹禁制や鎖国政策がなかったら、多分今頃、われわれの名はマリアやマリオ、ホアンやイザベルだっただろう。

ともあれ、スペイン旅行はとても楽しかったので、今度のスペインは是非とも巡礼の道サンチャゴ・デ・コンテスポーラを、と思ったものだが、いまだそのチャンスは巡って来ない。

キリスト教巡礼のしるし、聖徒ヤコブのシンボルはホタテ貝で、カトリックの国々や宗教画ではおなじみであるが、その由来についてはヤコブが漁師だったから、だとか諸説あると言う。
巡礼のシンボルホタテ貝の由来については筆者は絶対の自信をもって断言できる。

ホタテ貝は古来、海辺から移動する人々にとって食器等として必須アイテムだったに違いない。スペインガリシア地方の海岸はリアス式地形の語源となった「ria=入り江」が連なり、森川海の豊かな自然が魅力だという。その州都がサンチャゴ・デ・コンテスポーラであるという。

筆者がかつて青森県内で大枚四千円だったかをはたいて買ったホタテの貝皿。(昔に比べると大きな貝殻を見つけるのは至難の業だ。)年に2、3回しか使っていないのだが、無性に食べたくなるのが、青森県地方に伝わる貝焼き味噌である。
ちなみに昔、魚屋が並ぶ未舗装の道路には砕いたホタテの貝殻が敷き詰められていたものだった。

ご当地の居酒屋や郷土料理屋などで注文すると、ホタテの貝柱なども入り大層豪華なものだが、筆者のそれは貝殻に煮干しで出汁をとり、長ネギを加え味噌をとき、最後に卵でとじて、あつあつのご飯にかてて食べる、といういたって質素なものだ。
これを食するときは、昔人の質素な食生活に思いを馳せるのである。

スペインを訪れ、ホタテ貝のシンボルをあちらこちらで目にしたときは、洋の東西を問わぬ昔の人々の質素でつつましやかな旅路の食卓を想像したのである。そして旅人が、その貝殻で水を掬って飲んだり、ちょっとした煮炊きをしたであろうことは想像に難くないのだ。

東日本大震災から5年たった。

岩手県沿岸被災地の人たちから、沢から水を運んだ話、煮炊きをするのに空き缶などを探した話などを聞いたことを想い出した。

転々とした避難所、避難経路や日付などを小さなレシートやチラシの切れ端に避難所でもらった小さな使い捨て鉛筆でびっしりと書き込んだメモを取り出し、必死で説明してくれた福島の被災者のことを思い出すのである。福島第一原発事故から2ヶ月も経たぬのに、「東京の娘の嫁ぎ先も含め、もう8か所も転々としたよ。」という言葉も聞かれたのであった。あの人たちは今頃どうしているのだろうか。

今では、ホタテ貝を見ると思い出すのはスペインの巡礼の道ではなく、東日本大震災後の常陸、三陸リアスの人々である。




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