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ケータイ業界の動きを読む~ドコモ・au・ソフトバンク・ウィルコム

ウィニー開発者 金子氏 高裁へ控訴

2006年12月13日 | Weblog
Asahi.com
新技術の開発、どうして罪に」ウィニー判決受け被告
2006年12月13日(水)13:12
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2006121300461.html

「新しい技術を開発することが、どうして罪になるんだ」。判決を受けて、金子勇被告と弁護団は不満をあらわにし、大阪高裁に控訴して争うことを明らかにした。

どう考えても、判決理由がおかしいですよね。
開発者が将来のリスク・影響を考えてまで、技術開発を行う責任があり、それが有罪理由だなんて・・・

裁判官罷免だな。
地裁の裁判官の罷免でどうすればいいだろう?って真剣に考えてしまいます。

あー血圧が上がってきた~~この間の健康診断で上が160もあったんだから・・・

 

ウィニー開発者 金子勇氏 有罪判決150万円罰金

2006年12月13日 | Weblog
ウィニー開発者に罰金150万円の有罪判決 京都地裁
Asahi.com
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2006121301260.html

ちょっと京都地裁の裁判官頭おかしいんじゃないの????
当然、控訴だろうけど・・・
次は確実に逆転判決の無罪だろうと思う。

私の論法はいつも単純でこうだ。
車の交通事故の死者は年間1万人弱(最近が6,000人ぐらい)だ。
だからと言って殺人幇助には車メーカーはならないだろう。
電話だって、犯罪に利用されることは当然容易に推測できるが、その電話手段そのものが犯罪幇助とは如何に・・・

こんな判決が下るようでは、新しい技術開発が抑制されてしまう。
利用者のモラルや運用方法が一番の問題なのに、その責任を開発者に摩り替えてしまっている。

著作権の問題は奥が深く、利権団体がかなり圧力を掛けているんだろうけど、そもそも国民が著作権料10円(印税)の価値になんで100円も200円も支払わなきゃいけないんだ。
版権や再配布権・使用権・・・隣接権者のまあいろんな権利で著作者の権利にロックインをかけて、
高い価格で商品化して儲けているだけでしょっていいたいね。

一端、このビジネス構造を崩壊させて再構築する必要性は十分にありだ。
そういう問題提議をもウィニーはしたと言う点でも大きな貢献があったはずだと思う。
現在の著作権の問題は、著作者の権利保護より、むしろそこに群がる企業の利益モデル保護の色合いの方が非常に強いと思う。

とにかく、金子勇氏を私は応援したいと思います。




キャッチボールとコミュニケーション

2006年12月12日 | Weblog
今朝の通勤のラジオ番組で野球のキャッチボールの話を聞きました。
最近は親子や友達どうしてキャッチボールをしている光景をほとんど見なくなりましたよね。
特に野球のキャッチボールに限らず、サッカーボールを蹴り合うでもかまわないんだけれど、
このようなボールのキャッチボールは、実は思いやりの精神を育む重要な役割を果たすということらしいです。

そういえば、自分の小さい頃は、良くキャッチボールをしたものです。確かに何気ないボールのやり取りの中にも
相手への思いやりの気持ちは確かにあったと思う。

相手の受け取りやすい所にボールを投げるようにいつもボールをコントロールることや、
もし年齢差があれば、相手に合わせてボールの強さをコントロールしたりもする。
時にショートバウンドになったり、大暴投しようものなら「ごめん」と素直に素早く謝る・・・
このようなコミュニケーションを絶えずやり取りするキャッチボールの中に、自然と相手への思いやりを育む要素があり、
また信頼関係を築く元があるように思ったりした。

だからこそキャッチボールは楽しいのだ。
逆に思いやりのない・コミュニケーションのないキャッチボールほどつまらないものはない。5分もすればすぐに嫌気が差してくるものだ。

最近の子供たちは、一人でゲームをしたり友達と対戦したり・・・
ゲームより、外で遊ぶキャッチボールの方が余程健康的であり、何よりも人間形成に大いに役立つのだから・・・
あらためてキャッチボールの素晴らしさを再発見しました。

自己認識の表層意識と潜在意識のズレ

2006年12月04日 | Weblog
私たちの多くの自己認識は、起こった現象・出来事・言葉・文字などにより現象をインプットしている。
だから、現象として表面に現れたことを認知していることがあまりにも多い。
逆に潜在意識は、潜在していることなので、日常生活の中では意識されないことが大半である。

人間の行動にもっとも大きな影響を与えることが出来るのは、潜在意識層である。
現象によって誰もが認識している表層意識とは明らかに異なる。
しかし、表層意識は絶えず潜在意識に働き掛けを行っているから、潜在意識に情報の刷り込みを行うことは可能なわけだ。
だから、言葉や文字、見た物や聞いた事などの情報伝達手段の現象面が、潜在意識に対して無意識のうちに
情報刷り込んでしまうことがあるので、かなり注意しなければならない。

お前は勉強が出来ない出来ないと何度も言われると、勉強に対して苦手意識が生まれる。またこの逆も真なりだ。勉強に限った話ではなく、運動でも仕事でも、あるいは趣味の世界でも然りだ。

表層意識と潜在意識の情報のやり取りは、本人が気付かないうちに無意識のうちに行われていることが多く、
表層意識と潜在意識の情報が、負の世界で一致した時は、特に厄介なこととなる。

いじめや虐待など繰り返し存在否定となる情報を第三者によって、表層からインプットされ続けると、
潜在意識にそれが伝播し汚染されていく。
その時に、悩んだりして自己対話を行い、自分を見つめたとき、自己存在否定の情報が、
潜在意識層と表層とで合致してしまうと負のスパイラルにどんどん入り込んでしまう。
しかし、表層から情報のインプットの際、すなわち潜在意識への刷り込み情報としてお前は存在価値がある、
お前がいてくれたお陰で、こんなに助かったことがある、お前のことが大好きだ・・・など正の情報が多く刷り込まれている場合、
表層から負(マイナス)の情報が入って来ても、これに立ち向かうことができるのだ。
負の入力情報に対しては、合致しないでズレるような正の情報を潜在意識に多く持つように努めることが重要だ。

あなたの周りの人、家族や友人・会社の部下や同僚・上司などあなたを取り巻く第三者に対しては、
いつも出来るだけプラス思考となる正の情報をインプットする様に心がけた方が良い結果を生みやすいと思う。
少なくとも、いざと言うとき、日頃から正の情報を潜在意識に多く刷り込まれている人の方が、立ち直りも早く、
間違った方向に行くこと(死・ノイローゼ・鬱)を回避できる。
負のスパイラルに入り込んでしまってからでは、正の情報が入らないから・・・それからでは手遅れで本当に大変なことになる。

日頃から、正の情報を伝えるように・・・明るく楽しくなる会話を意識して心がけるようにしてみよう。

いじめと自殺の因果関係

2006年12月04日 | Weblog
確かにいじめが直接引き金となって、児童・生徒が自殺する場合はあるだろうが、大半の場合、実はそれは大きな錯覚だと思う。
自殺して遺書を残した本人でさえ実は錯覚をしている。ましてや周りの大人や教師は当然大きな錯覚なのだ。

子供たちの自殺者はデータによれば増加しているかもしれないが、大人の自殺者の方がはるかにその絶対数は多く
増加している傾向は顕著であろう。

人間が自殺したくなる理由は?それはどんなとき?
これを考えたとき、本当の理由がわかる。
もし、リストラにより自殺した男性がいたとしても、本当の理由はリストラではないのだ。
自殺する本人ですらリストラのせいだと錯覚をしている。
リストラにあった人が必ずしも自殺するわけではないし、同様にいじめにあったらみんなが自殺するわけではないのだ。

自殺者の多くは、自己の存在価値・存在理由がわからなくなり、生きることの意味がわからなくなってしまう
のではないだろうか?と考える。

もし、恒常的にいじめを受けたり、リストラにあったとき、本人は、心の中で自己対峙している。この自己対話の中で、
自分の生きる意味や価値がわからなくなってしまい、自己存在否定に走るのだと思う。
それがエスカレートしていってしまうと自殺に到る可能性は十分ある。

だから、自己対峙する場面は、いじめやリストラ・破産・学業不振・病苦など様々のことがきっかけとなって
引き起こしているにすぎず、その自己存在否定のスパイラルから抜け出すことのできるような生活環境や仕組みを
日常から持つ必要があると思う。

また、年齢別の自殺者数を統計で見れば一目瞭然であろうが、乳幼児や幼稚園児あるいは小学校低学年となれば、
自殺者はほとんど皆無といって良いだろう。
人間は年齢を重ねていくと色んなことを考える力が付いてくる。
そんないろんな考えの中で、自殺に最もつながる思考は、おそらく自己対話においての自己存在理由について考える時であろう。
(いじめ・リストラなどは、自己対峙のきっかけであり、そんなことが起こらないと自己対話さえ人間というものはしないものだが)

自殺者の中でも成人男性で仕事に没頭していた人の方が自殺危険率は高いと言う話を以前聞いたことがある。
仕事という自分の居場所を失ったとき、どこにも逃げ場がないのである。
子供たちにとっても、学校での人のつながりが全てで、唯一の場所である学校で疎外感・孤独感を感じたとき
一体どこに居場所を求めるのだろうか?

子供たちの生活環境は、
おじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らす子供が少なくなった。
一人っ子が多く、兄弟がいない。
母親が共稼ぎで忙しい。
学校以外の居場所としての家庭ですら、子供を取り巻く環境は劣悪である。
もちろん地域との関わりも少なく、学校ではうわべの友達関係を装う現状だ。

孤独感や孤立感・自分の存在否定が襲ったとき、友達や仲間・親兄弟からの言葉や勇気付けがあれば、
どんなに救われることだろうと思う。

現代に生きる私たちは、一箇所に止まるだけではない数箇所に、自分の居場所・避難場所を日常の生活から
作って行くことを考えておく必要がある。
自分の存在価値を認めてくれる場所が・・・・

多くの子供たちが、今現在危険な綱渡り環境で生活していることを思うととても胸が痛む。

最近、私はできるだけ子供たちと些細なことでも会話する。
小学校6年の娘は、最近では学校や塾でのできごとを事細かく話してくれる。きっと嫌なこともたくさんあるだろうと想像する。
子供にとって、親の存在・安らぐことのできる家庭という居場所だけは失うことがないようにしたい。
ちなみに、上のお兄ちゃんは、部活で忙しく同学年の部活仲間や先輩たちと楽しくやっているようだ。



片山さつき、佐藤ゆかり自民党離党すべき

2006年12月01日 | Weblog
片山さつき、佐藤ゆかり両名が委員会を無断欠席したとの非難があがっている。
当然公務を無断で欠席したことを深く反省してもらいたい。

それよりも復党問題は、到底国民の理解をえられるものでなく、刺客議員と言われる方々は、
自民党を離党をすべきでしょう。
唯一復党しなかった平沼氏は、信条・理念を貫き絶賛されているほどだ。

政治家として信条・理念を貫くことも大切だし、さらに国民のわかりやすいこととして、モラル・常識に訴えることだ。
(公務を欠席していては、こんなこともいえないだろうが)

この機会に自民党を離党し、政治家として独自の政策論争を巻き起こすべきだ。
党の好き嫌いの問題ではなく、このような非常識な行動を糾弾すべきだと思うが・・・

国民は今回の復党問題を納得できていないのに、当事者の刺客議員は口を開かない。
コソコソしないで、大きな声で党の非常識に声を上げるべきだと思う。
この際、もう腹をくくって離党を宣言してはどうか?
(手続き上、離党できるかは良く知りませんが)

国会議員として経験も浅く・未熟でも、おかしいことをおかしいとはっきり言えることを望みたい。
癒着・しがらみ・馴れ合い・保身のない姿を見せてほしい。
未来の日本のために物がはっきり言えることができれば、有権者も決して見放す事はないと思う。
一度は未熟といえども、志を立てたならそれを貫き通して欲しいものだと思う。

非常識を堂々と行う復党議員 VS 常識ある行動を取った離党議員
有権者の判断を改めて問いたいところだ。

◆少子化問題

2006年11月30日 | Weblog
今日出生率が1.25から⇒1.26になったとの報告があったようですが、統計の集計方法の誤差範囲で、実質的には何も改善されていないようですね。

少子化問題についてその原因は?と聞かれれば、答えは明快です。
女性が社会進出したことが最大原因です。
こういうことを言うと女性人権XXとかいう団体がすぐに反応する厄介な話ですが、これは紛れもない事実です。
女性が社会進出し出産・子育てをする女性が減れば、当然出生率が下がるのは当たり前の話ですから。
こんなことは何十年前からそうなることは予測できていたことで、将来そういう現象を招くのは当然の結果。
今さら何大騒ぎしているの?って思います。
でも、この問題は日本国の未来に関わる大きな問題だから、きちんとした対策が必要だろうね。

昔の男性と女性においては、仕事と家庭の役割分担が明確であったのに、それが近年は崩壊したわけで
男性は社会に出て仕事をする役割から家事や育児などに時間が割かれるようになった。
しかし男性が家庭内のことをいくらがんばっても、男性は子供を生むことができないから、少子化対策にはならない。
ダンナが家事を手伝ってくれるからといって、その負担軽減分だけ、女性が出産・育児に時間をゆっくりと取れるかか言うと、
そうではなく、そのリソースはそれ以外に振り向けられているのが現状ではないでしょうか?
女性の家事の負担を軽減し、良き夫を演じることになるだけの話にすぎない。

以前のブログでも書いたが、産業構造が一次産業⇒二次産業⇒三次産業⇒四次産業へと変遷していく過程では、
女性の活躍の場所が急激に拡大していくのも自然なことです。だからキャリアウーマン的な働く女性に憧れたり、
脚光を浴びやすくなる環境になっているのも事実です。
未婚または未出産で仕事をバリバリする女性がいても、それはその女性の価値観の問題だから一向に構わないが、
出生率低下に一番大きな影響を与えているのは、第一子の出産で終わってしまい、2人目や3人目の子供を
生まない女性が多くなっていることの方が影響大のような気がします。

子育てにおいての第一子出生時には、母親は専業主婦として、子供と1対1で24時間向かい合いながら子育てをしなければならない。
夫が仕事で留守中、多くの女性が育児ノイローゼ的な不安定な精神状態となる。
このような第一子出生経験をした女性は、2人目、3人目の出生をすることに臆病になることはないのだろうか?
またこの苦い経験は、独身女性または既婚未出産女性へ波及・影響し、出産への不安材料や抵抗感となり
出産そのものを先延ばしにさせてしまうことに拍車を掛けているようにも思います。

現代のような核家族化の進行を背景にした子育て環境の悪化を改善する必要があると思いますが・・・
子育て環境整備・不安材料の解消がまずは優先課題だと思う。若い夫婦に対して決してお金で解決できる問題ではないと思う。

少子化対策と高齢化問題。
この両方を解決する方法として、65歳を超えた女性(おばあちゃん的な年配の方)のような方を地域で多く雇用し、
若いお母さん(母親)のための良き相談者であったり、託児施設なようなものを行政が運営を行い、
若いお母さんの支援または心身のリフレッシュが図れるような仕組みにしてはどうか?
老人ホームみたいな所ばかりを行政は支援しないで、老人と若い夫婦や小さな子供たちが
地域の中で親交を深める環境作りが必要だと思う。

65歳以上の女性も働いて、世の中に貢献すべきだろうと思う。年金暮らしもいいけど、世の中に貢献しないで
楽して暮らそうなんて虫が良すぎるよ。世の中の流れ、枠組みの中で年長者の方も社会貢献しながら、
少子化問題の解決にあたるのはどうか?と思っています。





◆いじめの最大の問題は孤立・孤独感では?

2006年11月30日 | Weblog
今も昔もいじめは存在するし、社会人になってからでも存在する。
ある種のいじめは当然問題だし、解決しなければならない事だろう。
ただ、いじめにも様々な種類があり、どういうケースのいじめが、児童を自殺まで追い込んでしまうのかを
もっと考えた方がいいと思う。

特に最近のいじめは、被害者の味方になってくれる人・友人がいないことだと思う。
クラス全員が総がかりで、いじめや無視に走る。

子供たちは、とにかく関わらないことが一番なのだ。
トラブルに自分自身が巻き込まれないよう子供なりの自己防衛・知恵の結果だと思う。
いじめ問題解決のために自分が関わることが、トラブルに巻き込まれる誘引行動になることを子供たちは感覚的に知っている。

大人だって、確実に自分がトラブルに巻き込まれるとわかっている時は、やはり関わらないで見過ごす人も多いだろう。
見過ごすことは良くないことだとわかっていても・・・そんなもんだと思う。

いじめはなくならない。無くなるはずがない。(いじめは当事者の主観的要素があるから)
しかし、クラスメート総がかりで、いじめ・無視という種類のものは、無くすことは出来ると思う。

自分が子供の頃、正直カラカッタリりして誰かをいじめたり、また自分もいじめられた記憶はあるが、
いつも仲良くしてくれる話相手(仲のいい友達)がいたし、自分が仲良くできるグループが存在していた。
自分の居場所がきちんとあった。

高校生にもなれば、自分ひとりの時間の過ごし方や自分だけの世界を作ることが出来るようになるので、
孤立や孤独感にも耐えられると思うが、小中学生にとっては、まだ自己確立ができない年代だから、
どうしても友人関係が重要になると思う。

現在のいじめ問題の根本解決は、まずは各児童の孤立感を感じさせないような枠組みや流れを
大人や教師がサポートして作って行くことだと思う。

仲間・グループが存在すれば、少々のいじめがあっても平気でいられると思う。
少しは嫌な思いもするけど、決して死にまで到ることはないと思う。
むしろ本当にいじめが撲滅され、いじめられたことがないとか、叱られたことがない子供が多く存在する方が私は怖い。


◆教師を恐喝する親子たち急増中・・毅然とした対応を

2006年11月29日 | Weblog
教育再生会議のいじめ対策緊急提言がまとまったようですが・・・

対策として
(1)いじめにかかわったり、放置・助長した教員に教委が懲戒処分を適用
こんなこと当たり前だろ。生徒をいじめて自殺に追い込むような教師は懲戒解雇で良い。しかし、こんな教師は例外中の例外で、いじめの実態の99.9%はこんなことでは解決されない。

(2)学校はいじめの実態を隠さずに保護者らに報告
いじめの実態が確認されれば、保護者に報告したり相談することには反対しないけど、その前に教師がいじめをしている生徒に厳しく指導すればいい話。殴ってでもいじめの悪さを教えるべきだろうよ。教育現場で起こっている問題を解決しないで保護者に責任転嫁をするなんて最低だ。

(3)子供や保護者が希望すれば、いじめを理由に転校
転校したければ転校させてやればいいよ。でも結局は転校先でもいじめられることになるんじゃない?って思う。アイツ転校生だぞ。きっと前の学校でいじめられてたんだ・・・となるのは確実。

その他・・・

いじめた側の児童・生徒に「毅然(きぜん)とした対応をとる」と明記したとのこと
なんで教師・大人が子供に対して毅然とした対応をなんて馬鹿げたことを明言する必要あるんだ??全く意味不明。

毅然とした態度を取るのは、根本的に「教師が」・・が主語じゃないだろうに。文部科学省が・・あるいは教育委員会が主語になるべきだろうと思う。

嫁さんから、以前こんな話を聞いたことがある。昨年の本当の話です。
教師が生徒・児童から暴言をはかれ、クラスの生徒達のまえで侮辱されているのに殴らない教師の方がおかしい。

近所の方が小学校教員で、小学校で生徒から散々侮辱され、その後さらに児童が先生に言った言葉として
「先生怒ってんの?殴れば?殴ったらどうなるかわかってるよね。家庭や家族あるもんね・・・。どうせ、よう殴らないんでしょ・・・
まあ、教育委員会にいつでも訴えるから、殴りたかったらどうぞ・・・」
「小学生が暴力団の準構成員みたいなことをやっていて、学校内でシノギだといって恐喝行為を繰り返したり、授業中にタバコを吸っていても、どの教師も知らん顔」 これって教師だけの問題じゃなくて、教頭・・校長・・教育委員会まで知っていてもみんな知らん顔らしいですよ。

要するに全員が公務員。すべて事なかれ主義なんです。
毅然とした対応なんかしたら、逆に教員が、校長が教育委員会から注意され処分されてしまうご時世なんです。

上述のような生徒がいたら、ぶん殴るぐらいのことして何が悪い?と思うけど。
私は体罰賛成派です。自分の子供が先生に殴られたことを聞いたときも感謝したね。そらー、殴られて当たり前だろうって思ったから。
(その時は、くぎ抜きやハンマーで廊下の壁を何箇所も殴って壊したらしい。親としては自分の子供の行動が全く理解できず、なんで?親として深く反省した)
先生から呼び出しを受けたときも、またそんな悪いことしたら、「ぶん殴ってくださいよ。」ってお願いしたぐらいです。そうやって、ものの善悪を子供は学ぶんだろうと思うし、また大人が理解できない奇怪な行動をとることはあるけど、おかしいことはおかしいと明確に大人が意思表示すべきだ。

体罰賛成波ではあるけど、もしビンタされて耳の鼓膜が破れたりして大怪我すれば、当然親として怒りますけど、でもそれがイコール体罰が悪いなんてことにはならないです。もう少し、殴り方、殴る場所を研究して、ケガをしないように上手に殴りなさいと教師にはいいたい。ケガの云々は、あくまでも不可抗力で偶然的な話だから。

先生にはもっと厳しく生徒・児童に接しても良いと思う。
保護者が文句言ってきたら、校長や教育委員会が「お母さん、お宅の子供さんは、殴られて当たり前のことをしたんですよ。教師が殴って何が悪いんですか?ここは教育現場ですよ。どうぞお引取りください・・・もしご希望なら、いつでも裁判を受けてたちますが・・」ぐらいのこと言えよって思う。

そういう毅然とした対応を校長・教育委員会・文部科学省がしないから、教師は後ろ盾もなく、組織から突き放されてしまうから、教育現場が崩壊していくんでしょ。

親だって暴力は良くないとわかっていても、自分の子供を叩いたり殴ったことのある親って多いと思う。もちろん、そのアトに、殴るんじゃなかったかな?きっと痛かっただろうな。って心の中で反省したり、謝ったり。でも虐待と体罰は根本的に違うことをほとんどの親は感覚的にわかっているはずだし。教師もわかっているはず。やっぱそこに愛情があり、相手を思っての体罰は許されるべき。というより推奨されるべきだと思う。
教育現場にアホの親の意見を介入させ、そこに基準を合わせて対応していたら、そらーおかしくなるだろうって思う。

◆必修教科履修漏れ校長の処分は?

2006年11月07日 | Weblog
高校での必修科目の履修漏れで学生救済・対応の方向性は明確になりましたが、

この不始末は誰が責任を取るのかな?

教育現場で法律?に反する行為が護送船団方式で堂々とこれまで行われてきたのに、

責任所在が不明確のままですが、今後どうなるのか不思議です。

ばれなきゃいいということが教育現場で行われた責任は重過ぎる。

厳正な処分を期待する。

でなきゃ、真面目(真面目な校長先生も含む)にやってきた人はもっとアホらしくなる。

ばれないなら、やったモン勝ち。特に処分もないし。なんてことを教育現場で手本示してどうするの?と思う。

◆今の日本 変だよ

2006年11月01日 | Weblog
最近はいじめの問題や高校での必須教科の未履修の問題や・・・

まあいろんな話題があるけど、とにかく今の日本はおかしいよ。

いや~な感じ。

平等・弱者保護・優しさ・・・・

どれも大切なことだけど、その一方で強さや勇ましさ・生きる力強さみたいな

ものが、なんかないがしろにされているような気がする。

気持ちがネガティブになる話題ばかりをマスコミは、書き立て過ぎなんじゃないかな?

よし!!がんばろう。こんなことでくじけちゃダメなんだ。って思いたいよ。

実際に社会に出たら、嫌なことはたくさんあるし、大人の社会にだっていじめはたくさんあるし、

近くの競合店やライバル会社から嫌がらせを受け・・・

国は、規制緩和、競争促進・会社に入れば成果主義・・・

今の若者たちが大人になったらどうなるの?

力強く生き抜くこと、競争で負けてもがんばる力、嫌なことがあっても我慢すること 

もっと人間として学び、色んな経験をしないと。強く生きる知恵も学ばないと・・・

それをどう大人が促進して、サポートできる環境・仕組みを作るか?が大切なんじゃないかな?

精神の肉体の免疫力を高めていく教育を考えないと!!って思うんだけど。

国民の多くが元気で活力のある国になるようにしないといけないんじゃないのかな?

ネガティブな暗いニュースや社会問題も取り上げて議論すればいいよ。

でも、そんなことばかりはうんざりだよ。

どんどん日本人の心が病んでいくように持ってているかのように感じるけど。

こんな風に感じる私が変で、私が単に病んでるのかな?


◆人類発展のために、たまには戦争せよ

2006年10月20日 | Weblog
すでに90歳を過ぎる戦中派のおじいいさんがこんなことを言っていた。
たまに戦争ぐらいやらんと日本人はダメになる。
戦争は人間の間引きだと。強いものが生き残り弱いものが死んでいく。
戦争という間引き作業により、人間はさらに強くなる。
まさに戦争を生き残った人間の言葉だ。運良く生き延びることが出来たのもDNAの本能的な行動による結果だと。優れたDNAが生き残ることが大事だと。
何かSF映画に出てきそうなフレーズだ。

こんな考えを公の場で言おうものなら、今の時代袋だたきですよね。
そんな考え方もあるのかと、ビックリだ。人間を畑の作物のように、間引きだなんていう発想には驚かされた。でも事実かもしれないなんて思った瞬間もあった。動物の世界では、種の存続と密接に関係する考え方かもしれない。

ただ、自分の子供たちが大人になったとき、そんな悲惨な戦争なんてやっぱり真っ平ゴメンだと思う。子供たちの未来がそんなものには絶対になって欲しくない。


◆民主党「周辺事態」に当たらず・・・何寝ぼけたことを?

2006年10月17日 | Weblog
北朝鮮がミサイル発射実験を行い、さらに核実験を行った。
日本海のすぐ向こうでこんなことが起こっているのに・・・民主党小沢党首は周辺事態には当たらないなんて言ったらしいが、何を寝ぼけたことを言っているんだろうと思う。
2大政党となり、政権を取ると言っている党にしては、あまりに浅はかで、日本のことを本当に思っている政党とは、到底思えませんね。

もしも・・・最悪の場合を想定しておくべきでしょう。相手は北朝鮮なのだから。
韓国の8割以上の国民、日本でも半数以上の人が、北朝鮮の行動を危機・恐怖と感じているのに、周辺事態には当たらないとは何事?何でも自民党の反対を言っていればいいなんて言うもんじゃないのに・・・民主党には失望だね。

今すぐ核武装するしないなんて議論する必要はない。
日本は、非核3原則を貫けば良いと思う。今日本がとるべき行動は核の拡散を防ぐことで、火急の問題として北朝鮮の核保有を阻止するための行動が急務である。今回の国連制裁決議により、北朝鮮へのダメージは大きいだろう。だからと言って核開発を中止する可能性は低いし、経済的制裁により現政権が倒れるまでに、核開発が成功してまったら、もう北朝鮮には手出しできなくなる。早く国連軍による制裁42条による軍事的な制裁に踏み切って欲しい。

◆国連制裁決議の日本の失態

2006年10月17日 | Weblog
北朝鮮への国連制裁決議が短期間で採択されたことは、私も評価するが、一体どんな主張を日本政府は行っていたのだろう。核の脅威にさらされ、その危険が最も高い国は日本と韓国だ。国連憲章第7章の42条の軍事的制裁を、いとも簡単に譲歩してしまったのではないだろうか?譲歩するための条件・カードを提示したのか?
第41条に止める条件として、もし2回目の核実験が行われた際は、無条件で軍事的な制裁を行うことの確約が取れているのだろうか?あるいは北朝鮮が核を保有するのであれば、韓国と連携し、わが国も核保有を検討せざる得ないと強く主張できているのであろうか?それが交渉というものだ。カードを提示し、条件を引き出して譲歩する。これが常套手段であろうに・・・日本国民を危険にさらすな!!

日本が核保有をすることは、憲法解釈では違憲にはならないと言うのが、大勢の解釈のようだ。日本国民は、核を保有することを望まない。また核を保有すべきだと主張する人は、ほとんどいないであろう。唯一の被爆国として多くの国民がそう考えているであろう。しかし、核被爆の恐ろしさを日本を通して知っているからこそ、核武装が必要だと考えるのは他国なのだと言うことを日本人は理解すべきだと思う。核爆弾を被爆しないための抑止として核を持つというのが世界の常識であることも日本人は知っておくべきだ。

対北朝鮮について言えば、日本が核を保有したからといって、抑止にはならない。日本が核を持っていても、北朝鮮は核弾頭ミサイルを発射してくる国だと思うからである。世界中から非難され、国連による制裁があるのをわかっていながら、核開発を進める北朝鮮に抑止効果なんて期待できない。普通なら核開発をやめるでしょ。国連・世界の監視が核開発の抑止に普通ならなるところを全くの無視なんだから、まともな考え方のできる国じゃない。北朝鮮の国民を大切に思う気持ちなど、現在のキム政権に垣間見ることもできないのだから、他国のミサイルが飛んできて、多くの北朝鮮国民が死んでしまっても平気でいられる政権だと思う。

周りからどんなに非難され、国民が犠牲になろうが全く気にする様子のない北朝鮮に、これ以上核開発の時間的な猶予を与えては絶対にあってはならない。
もし、北朝鮮が核爆弾の開発に成功し、ミサイルに核弾頭を搭載したら、軍事的な制裁なんてもうできなくなる。もし軍事的な制裁をしようものなら、核ミサイルの乱射につながるだろう。とても怖くて北朝鮮に制裁なんてできないことになる。そんな風になってからでは、もう手遅れになるということがなんでわからないのだろう。紳士的に協議して和解・解決できる相手国ではないことをわかっているのに。

それに米国の動きもイラクとは大違い。イラクは核をもっていなかったのに、軍事攻撃を行い、核実験までしている北朝鮮に及び腰・・・米国の国益に直接関係するかどうかが、軍事行動を起こす起こさないの判断基準なのだ。パキスタンの核保有を認めた事だって結局は、中東の石油をアフガニスタン経由パキスタンでパイプラインを引かなければならない。パキスタンとアフガニスタンが対立する中、パキスタン側を支援し、テロと称してビンラディン追撃を大儀名分にアフガニスタンに米軍を送り、結局はアフガン政権交代に追い込んだ。全ては石油のため。米国が今北朝鮮にある程度の制裁を行うのは、単に偽ドルをばらまいていることを阻止できれば、その程度で良いだろうが本音であろう。日米安保も然り。何も日本を守ることを目的にはしていない。冷戦時代の共産圏(ソ連・中国)からの脅威に対し、米国本土を防衛する太平洋側の一次防壁としての日本に過ぎない。米国本土への冷戦化の脅威は大西洋側より太平洋側が重要と考えていたからにすぎないのだ。(大西洋側はNATO連合軍があった)
今回の国連制裁決議にも、大国の自国の国益主義が見え隠れしていることに苛立ちを感じている。

そろそろ、日本も自国の考えで物事の良し悪しを判断し、世界平和維持のために道を歩まなければならないのではないか。大国の自国利益優先主義に振り回されないように・・・私は北朝鮮への軍事制裁が目的ではない。何よりも核を拡散させないことを最終目的としての手段として、軍事的制裁・介入が必要である考えている。


◆北朝鮮への武力行使を

2006年10月13日 | Weblog
北朝鮮のミサイル発射そして核実験・・・絶対に武力行使で介入すべきだ。
もちろん、日本が先制攻撃なんてできないから、間接的な方法で武力行使できるようにもって行くべきだと思う。このまま核開発をさせ続けていけば、将来日本は今以上に危機的状態になるのは必至。誰もがそう思っているはずなのに、このままズルズルでは困る。世論をしっかり形成する時期に来ているのでは。

もちろん、武力行使は世界の警察としての国連軍が入るべきだ。
こんな状態なら、従来の米国なら軍事介入をしていてもおかしくないだろうが。
イラク問題での反戦ムードもあり、大統領の中間選挙を間近に控えて、身動きがとれないというのが事情もある。今は外交交渉による平和解決を目指すとしか表明できないのもやむ得ない。

北朝鮮は悪の枢軸というテロ国家。犯罪国家であるのは明白。
覚せい剤を栽培し、偽ドル紙幣を作り、そして日本に対しては多くの人を拉致誘拐した。これら非合法手段により国家収益を得ている国だ。歳出・歳入にあたる歳入というべきものが、非合法犯罪によって国家運営されている国に核など保有させたら、世界はパニックだ。覚せい剤を他国に売るように、もし核を売買されてはさらに世界の平和が脅かされる。

インドやパキスタンが核を保有することと北朝鮮が保有することは、根本的に違う。もちろん核を開発・保有しないに越した事はないが、倫理観がある国が保有するのと犯罪国家が保有するのでは意味が違う。警察官が拳銃を所持するのと犯罪常習者が拳銃を所持するのことの違いのようなものだ。

現在の北朝鮮のキム体制を一日でも早く崩壊させるべきだと思う。
そして、日本は国連軍に自衛隊を大量派遣し、その主導的役割を米国とともに果たすべきであると思う。

21世紀の世界における日本の役割は、国連常任理事国入りを目指す日本であれば、なおのこと世界のために日本として国連活動の中で、積極的な役割を果たしていくべきだと思う。経済的・技術的貢献だけでなく、世界の警察としての役割も担うことも重要であると思う。

平和はタダでは手に入らない。大きな平和のために何かを犠牲にしなければならないかもしれないという覚悟をしておくべきだと思う。やり方・手法論は様々だろうが、日本人として覚悟を決めること・・・憲法第9条の平和の思想を尊重するゆえのこととしてしっかり考える。9条の問題は大変デリケートな問題だから、国民一人ひとりが、自分の意思を表明することはむずかしい。だからといって、わからないから政府・政権に任せきりというのもどうなのか?国民一人ひとりが自分のこととして、我が家のこととして考えるべきだ。もしあなたの隣にすむ人が犯罪者で、今爆弾を製造している人が住んでいたら、警察が介入すべきではないなんていって放置できる問題でしょうか?

国民一人ひとりがしっかり現実を受け止め、未来を考えるようにするときがやってきていると思う。